6月4日の土曜日。

京都みなみ会館。

Made In Yamato 


翌日5日に監督5人の舞台挨拶がある回に伺う予定が、


間違えて4日のチケット買っちゃったのです。

ネット前売ってキャンセルや変更は不可なんで来るしかなくて。笑

敢えてその日に、行った理由。

すいません、なんにも深い理由はありません。

行くの辞めて買い直してもいいけど、

さすがに、それはなんか違うし、都合もついたので、

ちゃんと行く事に。

おかげでか、


のんびり広々と観せて頂きました。

多分皆さま、5日に観に行くだろうなと思いながら。



神奈川県大和市を舞台に、5人の監督によるオムニバス5作品です。

ただなんだろう?

別に舞台が大和市じゃなくても良いような感のある5作。まぁそれを隠しもせず敢えて表に出している感もあります。

そして特にこの大和市と言う場所に何かがあるわけではありません、みたいな。観光目的地とか名物とか、そういうの、です。

ただね、この作品、製作が大和市イベント観光協会とクレジットされてます。

もしかしたら実際市役所にお勤めの方々?が劇中にも出演されてて大和市しっかり絡んでます。

でも、観たあと、正直に言えます。

別に大和市に敢えて行きたいとは思わなかったですし、

なんにも良いところとか全くPRされてませんでしたし、

いや、そして絶対そんな事をする意図や意識すら無かったと思います。

逆説的なことを狙ったものなのか、大和市と言う名前だけをPR出来れば良い、そういう事なのか。

多分、そういう事なんでしょうね、

それくらい、

改めて書きますが、ストーリーのその舞台が大和市である必要も無く、そして関係もほぼない。

良く言えば、


なんらかの大和市括りに縛られていない、


という事でもあります。 


大和市が単純に度量が広い?












ストーリー1の あの日、この日、その日 に大和市の市役所の職員さん?が登場。

ストーリーとしては、市役所に勤めるユキが退職する太田さんの為にビデオレターを作るため、ビデオカメラと三脚抱えて各部署を周り太田さんについてのインタビューをしていく模様が前半。

ただその事をフライヤーつまりチラシを読むと書かれてるのですが、劇中では全く語られていないので、最初はポカンでしかありません。笑

前半何人もの方々にそれが続くので、なんとなくそんな風な事なのかと、気付く訳です。

でも、最初は何が始まるのかと考え、ある意味それが面白かった。

ただ結局、答えも語られなかったので、短編作品としてはまあまあ冒険的な挑戦。

ず〜っと、ホント何やってるの?でしたから。


あと、

インタビューで登場した市役所の職員さんも実際は役者さんなのかなと実は思ってます。


そこは分かりません。真相はパンフとかには書いてるのでしょうか?ちょっとくらい調べても特に何も書かれていないので不明です。

パンフ未購入なので。てか、有るのかな?


後半は、ユキが友人山崎とピクニックに出かけた先、森林公園みたいな場所で、

何故か?

その太田さんと偶然会い、

ランチしたりフリスビーしたりするのですが、

そこの意味合いもよく分からず。

フリスビーで疲れた太田さんは途中で消えちゃうし、

帰り道、ユキと山崎がフリスビー面白かったね、

で、終わるんで、

だから何?

分かったのは、太田さんにはフリスビーのうんちくがあり、ウクレレを最近始めたということ。

だから、何?

誰が興味あるの?

太田さん、結構なおじさんです。


いえね、この後の4作品も、

だから、何?

的な展開の作品が続くのです。


「四つ目の眼」のオチは、分かるんだけど、ふ〜ん、って感じだったし、


「まき絵の大冒険」は、なかなかにずっと フリ を作り続けられていて、絶対なんかあるのだろうと思ってたのだけど、

結局、

それ?って

首を傾げてしまうオチ。

別に大喜利じゃないんだから、笑えるオチは必然では無いけど、

さすがに、そのオチでは力不足は否めない。

途中、全然違う展開があってそこは面白かったので、なんか有るって思ってたのです。

主人公の生きて歩んできた道、何故彼女はそう生きてきたのか?そういう部分を掘り下げる様な描き方にシフトされてきたかな?そんな展開だったのですが、なんか唐突に元に戻されてしまい、終わってしまった。

意味不明なステッカーの謎を探す旅?



「エリちゃんとクミちゃんの長く平凡な一日」は、もうオチの形にすら、なり得てなくて、主人公自ら劇中最後に首をひねって終わる。

自身の作品を敢えて自ら否定するかのような、

まぁ深読みすれば、アイロニー、

作者の皮肉じゃないかなとは感じました。

わざとそんな終わり方にした、と言う事です。

何に対しての皮肉かは、想像するしかない。

そもそも  皮肉  かどうかも分からないのですが。


「三月の光」

冒頭、女子がなんか分からないのだけど町を徘徊してる。どうしようもない何かを抱えている、そんか感じには見える。

そこに自転車に乗った男子が偶然、彼女を見つけ、話し掛けたりしてコミュニケーションを取ろうとする。形としてはちょっかい掛けてるって感じでしか無いのですが話しの中で同じ高校の同級生で、

しかし彼女は卒業式に出なかった事が分かる。

男子、まだなんか子供っぽいやつなんだけど、タバコ持ってて吸おうとするんだけど、ライターが無い。

その彼女に、ライター貸してって。

どうせ持ってるでしょって。その言動で男子はその子の事をそんな感じで見てたのも分かる。

映像と台詞で、説明はされてるのですよ。

持ってないし、タバコなんて吸うなとたしなめる女子。しばらくのそんなやりとり。

ただ、ふたりのやりとりは突然、彼女の一言で終わる。

男子、少年みたいなやつですが、なんとか絞り出した陳腐な一言を返すのが精一杯。優しさの欠片も無い言葉。

ネタバレになるので書きません。


ただね、彼も一旦彼女の前から姿を消すのですが、なんか放っておける訳もなく、多分彼女の家の近くをウロウロ。夜になり、彼女が家の近くまで戻ってきたのを見届けて、何も言えずに、帰るとこで終わり。

ちなみに彼女が帰宅したかは、分からないまま。

彼が不器用過ぎで、

でも彼がなんか心配はしてる事を彼女もそれは気付くには気付く。

反応はしないけど。


三月の光というタイトルは、その辺りからきてるのかなと思ったり。


いくつかの作品に感じたのは、孤独というもの。

主人公の原動力が孤独なのです。

孤独に耐えられず動き出すことで物語が始まる。

現実的な孤独であったり、社会や学校、家族内の孤独であったり、これから始まる孤独だったりなんてのも有ります。誰もが自分を変えたいと思ってたり、変われないかなと思っていると、個人的には思ってます。この作品では、それが例えば、町を彷徨うこと。だから何かが変わるわけでは無いのだけど、まき絵の冒険と三月の光の2作には少なくとも微かな光は見えた。


ただ、4つ目の宮崎大祐監督作品だけは、そういう土壌?に乗ろうともしない作品でした。

ふざけてる訳では無いと思うのですが、

わざと、こういうものを作った?

そういう敢えての意図を感じたりしたのですが、どっちかな。


他の作品もそうだろうけど、

変な映画〜、変な話しって感じでニヤニヤしながら観てくれたらいいと思ってるんじゃないかと考えたりしたのだけど、

さすがに、そこまではしないか?

いや、するかな?

笑。しそうだ。