1ヶ月振りの東京は、

新国立劇場。

小劇場の方ですが、ここに来たのは初です。



「イロアセル」

11月14日

新国立劇場  小劇場





まさか福原稚菜さんが、こちらの舞台に立つなんて。

いや、だってあの人、

頑なに、年に一回しか舞台は、やりません!って言って、

更にはそれを押し通してるような人です。

実際見事に年に1回。

まぁ別に舞台を軽視してるとか、そういうのじゃなくて、事務所の方針みたいなものなのかも知れないのだけど、

例えば舞台と映像ってかなり別なもの?そんな気は素人でもまあまあ思うので、どちらかと言えば映像作品優先、そんな方向性ならば仕方ない。

ただ、2年前のとある舞台出演を機に、ご本人的には変わったようです。あくまでも僕の感じた事でしかなくて、裏付けも無いのですが、

なんとなく、本気度が増した。ギアが一段上がったって感じで。



「イロアセル」は新国立劇場主催でのフルオーディションで行われる企画。

フルオーディションは4作目になるそうで、初のオリジナル脚本。今までは「かもめ」とかやってたわけですよ。いやなんか、いかにも、それっぽいですよね。

でも、

今回は書き下ろし。

とは言え、

2011年の作品。


ただ、この脚本がなかなかに今に通じていて、結果、時代をしっかり風刺、反映する形になっておりました。今の時代を想像されていたのか、10年を経ても世の中の根本的な部分は変わっていないのか。

なんか、個人的には後者の気がしますが、

つまり、脚本が風化されていなかった。とも言える。

2011年の上演時を知らないので、書き直された部分はあったかも知れませんが、

芯の部分は10年を経ても通じるということです。

個人的には最後、

終わりの部分

終わらせ方、は、正直かなり嫌でした。

ブラックな終わり方、ストーリーの閉め方をしたかったのでしょうし、確かに話しが締まった感はあるので間違いでは無いでしょうが、

なんか、後味が悪い。

代案は無いけど。笑



コメディだよと、福原さんがSNSに書かれていて、確かに隣の席の男性はやたらと笑ってらしたのですが、

僕と反対側の隣の男性はほぼ笑ってなかった。笑


基本、笑いの部分は囚人と看守役のふたりの絡みの部分に集約されてた感はあるのですが、

総体的に笑いのテンポが、僕とは違っており、なんか、笑いにくい。笑

台詞のやりとりにスピードが足らない。

僕のほぼ笑い声が無かった隣の男性も、もしかしたら同じだったのかもです。

イマドキの漫才とかの掛け合いのペースに慣らされている語弊かと思ったりする。

なんとなくですが、年齢が低めの俳優さん達は総じて早口気味で、高めは遅い、そんな感じですのでタイミングが、なんかおかしい。

多分なんですが、

演出の上でと思うのですが、


きちんと統制されてるのかも知れないですね。


演出されたものに忠実に従って演技されている。若手の俳優さんは反抗してるのか、

忠実にトレースできないのか、

まぁ僕は前者と思いたいのですが、だから、逆に合わないように感じ受け取ってしまってるのかも、なのです。


僕は若手の俳優さん達に一票入れたい。

どっちが正解かは分かりませんが、好みとして。

もうちょっとテンポ良くても良いかな、と。


ただ台詞は聞き取りやすかったですね、その辺り演出としてのハッキリとした姿勢かな。俳優さんとしては、普通な事ですが、割と自然な演技として何を言ってるのか分からなくてもOKなんて傾向が無いことも無いじゃないですか。伝える事、伝わる事を優先する方が大事だと。

でも、舞台や映画などで、何回聞いても未だに分からない台詞があったりするのですが、あれは気持ちが悪い。笑




物語の設定がかなり特殊です。


とある島があります。


その島の人間だけ、

口にした言葉や、書いた言葉が色となって形になってしまうのです。

そしてその色も、全て違うので、誰か何を言ったか、何を書いたか、

他の人々に分かってしまう。

煙みたいにその人間が発した言葉が色になって空中を飛び交うのです。


色で誰かは判別出来るのは理解出来るのですが、どうやらこの島の人間は、それを言葉に置き換える事も出来ます。

あと、おまけに、その色を集めて言葉に翻訳する、携帯タイプの機械も作られており、それによって詳細に誰が何を言ったかどうかが分かるようになっています。かなり、わざわざ感があるのですが、それによって、スマホのSNSを想像出来る訳です。

だから、こちら側は、昨今のSNSやテレビ等の一連の問題点とかを想起して、置き換えて、

問題定義として考えさせられる訳です。


その島の人間は、

自分の発した言葉や思いがみんなに知れわたってしまう為に、

だんだんとホントの思いを隠して、

色んな事に配慮した事しか口にしないようになります。

公の場や、他人に対しては、ある意味良い事?ではあります。配慮した言葉だから、です。

単なる事後防衛だったりもしますが。

でも、本音では無い。

そして、

本音は他人を誹謗中傷するような言葉でも有る場合が多々ある。

だから、この島の人々は、

実は、それこそ家族に対しても本音で話せなくなってしまってた訳です。


変な機械を開発し作ったりするくせに、そういうのを島の人々は受け入れていて、

何も変わらない、多分更に悪い方向にしか向いていない。

そこに部外者が島にやって来て、

やがて、彼らが、

そんな日常を破壊し、

結果新しい日々に足を向けざるおえなくなる、

そんな話しなのです。

ここまで書いてて、かなり良い話しだったんだと今更ながら気付く次第。

個人的には好きじゃないタイプの話しなのでごちゃごちゃ書いてますが、舞台として見た時、美術や照明、音響とかそういうのを含めて総合的に観て納得する作品だと思えます。



カンチェラという架空の競技が、この作品の中にあります。

これも、ある種、作品の芯の部分の一部です。


福原さんは、このカンチェラの現世界チャンピオンです。そういう役。


劇中、彼女がカンチェラの試技を演じます。

一応、練習風景。

カンチェラは、特殊な形状で先端に照明が付いた長い棒を持ち、

それを使って舞う、

その演技で争う競技です。

競技としては、新体操みたいなものかも知れないかなと、思われます。あと、空手の型とか。

道具は、薙刀みたいなものです。その先っぽに電球が付いていて、光を放ちます。

で、

話し戻って、福原さんが、カンチェラを舞うというか演じる、そんなシーンがあるのですが、これがなかなか良かったのです。

音、動き、光、

静寂の中での、緊張感溢れる一挙手一投足に、見入ってしまいます。何よりも、発せられる舞台に響く音が好きだ。靴が擦れる音や漏れる呼吸音など。


実は11月26日に2回目を観に行ったのです。

時間が経過し、経験が追加された事で、何か変わったかなと思いつつ、観たのですが、五感に感じる濃度はなんとなく増えた気がする。ただ、なんか足りない気もする。それがなんなのかを考えても具体的なものには思い至らない。

ボンヤリと浮かぶのは『華』みたいなもの。

この話しの中で、彼女は現世界チャンピオンなんですが、実は彼女にはこの島のトップ企業がスポンサーについており、どうも審査員の一部を買収し、彼女のライバルであり、2年前のチャンピオンの女性の演技には減点をつけさせていた事が、ストーリーの中で分かってしまいます。

つまり、ストーリー上、作られたチャンピオンな訳です。

そこで、彼女のカンチェラの演技。あくまでも練習風景でしか無いですが、

僕が足らないと感じる何か。

それを敢えて、演技してる?演出されてる?

わざと、だったら?

意図だったら?

考え過ぎかも知れないのですが、

もし、そうなら凄くないか?


なんか、そんな事考えてしまった。。


違和感には、案外、そこに意図が隠されている。

かも、知れないんで。