「嵐電」


虚構なのか実際なのか、
いや、分かる気はするんですよやりたい事、表現したい事、描きたい世界。
でも、もう少しばかり分かりやすくしてもらわないと、結構精神的にイラッてしてしまう(笑)
と、申しますのは、
一応ね、複数のカップル、まあ3組ですが、それぞれの恋や愛を描いてる訳ですよ、この作品。
でも、その行く方がね、
劇中、虚の部分が多すぎて、かつ何気にその境界が分かりにくくて、いざ大事な所、所謂結末の部分になっても、これは虚なのか実なのかと疑い続けてしまい、時系列とか考えて、いやこれやっぱり虚構なのか?
なんて直ぐ思うばかりで、
結局ふたりの関係はどうなったんだ~!!!(イライラ)
そんな感情に、映画見終わって数時間経過してもその思いに苛まされております。
ようは答えをはぐらかされる感じなのですよ。
勿論、くっついても数年もしないままにあっさりと別れてしまっても良いんですよ。兎に角この映画の中で恋の結末を分かるか、容易に想像出来る、そんなエンディングにして貰えませんでしょうかねぇ?
精神衛生上、本当良くない(笑)

とは言え、そもそも
映画なんてものは、その解釈って有る意味自由だと思いますし、観る側の勝手なんで、
そう勝手に解釈しちゃえばOK?
イヤイヤ、ある程度のガイドラインは必要では無いですか~繰り返しますが、そこんところが分かりにくい。


舞台が京都って言うことも有り、必要以上に異界や魔界伝説風なエピソードを散りばめ過ぎるのはまあ幾分許すとして、
直ぐにさっきまで手を繋いでいた人がいきなり電車の中から消えふたりきりだったはずが、見渡すとまあまあの満席状態だったり、
電車に白塗りのたぬき男やきつね女が毎夜毎夜登場したり、
一方通行の無人改札口の前に立ち竦むと目の前に幽体離脱したかのようなもう一人の自分がそこに現れたりと、
意図的に何かと幻想風に描かれていたりするんで、
最後の方のシーンで
多分江ノ電沿線に住む
井浦新さん演じるノンフィクションライターの平岡衛星が自分の家の庭先のデッキで昼寝から目覚めるところが有るんですよ。で正直実はこれ全部つまりは彼の夢だったんじゃないかと勘繰った程でした。
いや、いや、そうかも知れないですけどね。
だって正解が不明なので。


映画見終わった後の帰り、女性ふたり組の会話が耳に
「この映画、分かった?」
「全然」
笑ってしまった。
敢えてそれほど謎でも何でもないストーリーを、わざわざ分かりにくくしてるから、です。
簡単に言うとね。


それでも個人的は、ただもう一度観ても良いかなって、実は思ってしまいました。
いえ主演の大西礼芳(あやかって読みます)さんが良かったので。
この作品の登場時から少しずつ女性として変わってゆく繊細で計算された?
変わっていく、言ってみればまるで少女から恋する女に変わっていく様を演じる姿が非常に魅力的なのです。




そこら辺り
彼女だけを観る為に、この作品を観るってのも有り、かもと(笑)

彼女しかし
後で調べると意外とベテランだった(笑)
あと、全然京都に関係ない方かなと思ったら、京都造型芸術大学映画学科俳優コース卒だった。
いえ、出演者ほぼ皆様京造関係なんで。

そう言えば先日観に行った「オーファンズブルース」の舞台挨拶で監督の工藤さんに「嵐電」でJK役やってる~ヒューヒュー!ってディスられてた窪瀬 環さん。
修学旅行で京都にやって来た高校生南天役で出られてました。
観てねって事だったので、観ました。まあ別に自分に言われた訳では無いですけどね。
あと、一応高校生に見えますけど、(でも笑)
オーファンズの時とかなりイメージが違う。

もう一度観ても良いと書きましたが、ただ、観てもまたイライラするんでしょうね、それは覚悟しないといけない。

ふたりの恋の行く方。
一応、再会し、ふたり手は繋がったはずなんだけどなぁ、
どうしても、
夢、まぼろし、それかまるで彼女の空想での出来ごと、願い事にしか思えない描き方に、どんな感想を人は持つのでしょうか。

まあ、調べないけどね(笑)

(どうでしょうか?逆に興味わきました?笑)