芋生悠
はじめての映画まつり
観終わって外に出ると、目の前に梅田のグランフロントのビル街で、僕がさっきまで目の前にしていたスクリーンの中の世界と余りにも異なることの違和感に暫く馴染めずにいた。
時間も夜の11時を軽く廻っていた。深夜に手の掛かる時間だ。そう言うのも付加されてるのだろうか。
ただ車を停めていたのが空中庭園のビルの方だったんで、歩きながら向かいながら今の時間に馴染む猶予を与えて貰ったとプラスに解釈して、その瞬間を味わおうとしていた。
簡単に云えば余韻と言う奴だ。
いや、正直4作品を続けて観ると、内面が疲れると言うのが正直な感想。心の中に汗をかいて、水分が失われた気分だ。勿論いい意味で乾きを感じてる。渇けば渇くほどにその分吸収出来るとは思うけれど。
4作順番で最後に観たのが「えのしまピエロ´17」だったんで、
勿論あの作品も非日常だけど、
テイストが他の作品と比べて明るめの作品で、
前向きな感じにさせてくれたので、
それが救い、かも知れなかった。
と言うか、上映後芋生悠さんのトークが有ったんで、そっちがホントの救い、でしょうね(笑)
いや単に脳が疲弊したと言う事を言いたかっただけ、です。
上映会も4つの作品も、充分に楽しめました。
4作品(フライヤーには、短編4本って記載だけど内2本は長編ですよね、あの長さ、笑)どの作品も最終的にはちゃんと明るい未来へと進むのかもしれないのだけど、
結局相変わらず何か大きな荷物を抱え続けてるように、
見えて終わった。
と僕は少なくともそう感じた。
多分有る意味、結構現実的なのだろう。
少し環境は変わったけれど、何も変わらない日常をまた向かえることになる。
そんな風に、見えてしまった。
つまり結局現実からは逃げられない、と言う事。
そう言えば「あの群青の向こうへ」でも、奇しくも、
もうひとりの自分が出てきます。
ああ「ピエロ」の映画の話に戻ってます。こちらの作品でも、もうひとりの自分がピエロの姿で登場してきます。ちなみに芋生悠がピエロ役です。
主人公の内なるもうひとりの自分が現れ、喋りかけてくる。それは普段の自分とは、全く違うキャラクターだったりするんで、自分からみると、とんでもなくウザいし、避けたくなる。でも、どうしても彼女たちの言葉を受け止めてしまう、そうして感情を揺さぶられてしまう。自分だから、自分が作り出したもうひとりのホントの言葉や感情だからと言うことです。
「ピエロ」は光で、「群青」のもうひとりは、影かな。
敢えて言うなら。
これ、予告編じゃないですよ
「あの群青の向こうへ」は、確かに出来れば背けたいものに向き合わさせられる作品かも知れない。
会いたい人に会いに行く、簡単に云えばそう言うロードムービーだけど、その会いたいと言う選択肢が、それしか無い事が堪らなく最後寂しく感じてしまった。
そもそも、ふたりの旅は、「逃げ」なんですよね。前向きな旅立ちなんてものでは無い。
今この場所から逃げたい→目的が必要→会いたい人?
実際、彼らふたりには、ひとりくらいしか思い浮かばなかったのかも知れない。彼は全く覚えていないもしかしたら会った事もない父親で、彼女はSNSでしかやり取りしたことの無いどこの誰かも分からない相手。
そんな寂しくて辛い今まで、だったんだろう。
カットバックで描かれるふたりのエピソードは間違いなく哀しいものばかりだった。
出会いはホントに気まぐれな偶然でしか無かった。
有る意味最悪な出会いでもあったけれど、何故か、一緒に旅立つ事になった。
ふたりとも、ひとりでは何も出来ず何処へも行けなかったかも知れなくて、誰でも良かったのかも知れなかった。でも一緒に行くことになったのは何かの見えない力が働いたかもって思えた。
東京へと目指すふたりは、有る意味恵まれていた。そんなエピソードばかり。出会う人がみんな優しい。僕なら、お金が無くなって、途中で働かせてくれた工場で、ふたりでもっと過ごし続けても良いかなって思った。間違いなく受け入れてくれそうだし。幸せな時間にしか見えなかった。
でも、旅立つよね。人はどんな形にしろ目的を作ってしまうと、そこへ向かってしまう。どんな結果がそこに待っていようとも、人は答えを求めてしまう。
大抵傷付く事が多い、そんな気しかしないけれど。
人は何かに期待してしまうんでしょうね。
この作品に出てくる未来の自分から送られてくるブルーレターと言うのが、ただ意味が余り無いように思うのですが、どうなんだろう。
多分作品の場所や時代を、近未来とか、今の日本では無いと言う設定にしたかったんだろうけれど、そして送られてきた手紙の内容も別に語られる訳でもなくて、芋生悠演じる彼女へその手紙を渡すのが、彼女が会いに行った人ってのも、あれ?でしたし、いやそもそも、その人の苗字が一緒に旅した彼と同じって、もう何か、そうなのか?って終わり方。凄い珍しい苗字なんだけどね、そこほぼ触れないで、多分ふたりも気付いていない。
でもどう考えても彼の血筋の人だとしか思えない。わざと介護士さんに苗字呼ばせてたりするんで。
いや、最後にバタバタとまとめて放り込んでくるのって有り?答え合わせ無いのにだよ。気になって仕方がない。
ちなみに芋生悠さんが演じる少女は、父親が誰かも分からなくて、ずっと母親に疎まれ、まともに愛されずに生きてきたっていう背景を背負ってます。高校へも行かせて貰えず、どうしても欲しかったんだろうか、生活費で買った制服着て家を飛び出して来てしまった。
で、彼と出会った。
なんか哀しい役です。幸せになれると良いんだけどね。
怒る泣く笑う叫ぶ微笑む秘める喜ぶ耐える爆発する、色んな感情一杯な芋生悠さんが見れる作品。
「ダウン・バイ・ザ・リバー」は、芋生悠さんにとって2作目の映画だった。まだまだそれこそ右も左もって頃に撮影した作品で、確かに、若い!ってだけじゃなく、正直言うとまだまだ存在感も感じられない。
あの場所で、彼女があそこに居る事がこの作品の有る種、意味を持っていて、そう言う役を演じてるのだけど、実は意味が余り見い出せなかった。見終わって、なにがしらの意味が分かるそんな感じかな。
他にも色んな意味を問い掛けてるのだろうけれど、個人的には「家族」その在り方や、その形を観る側に問う、そんな作品かとは思いました。
ああ、家族には、この作品の中では、地域のコミュニティなんてものも含んでます。
近未来、家族と言う定義が多分変わってしまうのかも知れない、そんなテーマを含んでるのかもと感じた。
なんか結構現実的なんですけど、お年寄りばっかりのコミュニティで、若い奴少なくて、町とか商店街とか完全に死んでて、でもどこかおとぎ話風で、伝説みたいなものを狂信してて、地方へ行けば何処にでも在りそうな、でも無さそうな場所。
主人公が何となく乗って進めてしまったボートで川を流れて流されて行き着いた場所です。そこ先に書けって?笑。
そもそも都会の大きめの川がスタートで、そこから流されたら海へと向かってしまうと思うんですが、行き着いた場所がここ。で、どう考えても山合の上流の方。まあおかしいのはおかしい。
川があって土が有って緑が有って、ちょうど良い無人の木屋が有って、主人公はそこで暮らす事を考えてしまう。実際、土を耕して畑を作ろうとまでするんですが、なんかいろいろ有ってその場所にも居られなくなって、商店街の中の1件のお店に厄介になる。そこのお店に居るのが芋生さん演じる少女なんですが、おばあちゃんと孫?なのかな?ふたりでお店をやってるんだけど、他の家族は???
まあそういう細かい事はどうでもいいのかな。
でも彼が聞くんです?
「どうして此処に居るの?」
彼女の答えは無かった。
「それからのこと、これからのこと」は、最初に上映されたのですが、監督は芋生さんの次作公開になる「左様なら」の監督の石橋夕帆さん。
高校生最後の前の日と最後の日を綴った物語。
好きと言う感情を伝えられない、多分相手も好きだったり気付いていたりするのは分かりきってるのだけど、あと一歩が越えられない、そのひと言が口に出来ない、
つまりは今を壊したくないって心理だろうけれど。
そんな物語。
若さゆえの苦いお話と思いがちだけど、よく考えれば、そういうのって今でも結構残ってる感情じゃないかと。人って一番大事な言葉や感情を隠してしまいがち。ですから。
でも、後で悔やむんですよね。
少し背伸びしたら届くのに、って言う微妙なお年頃の芋生悠さんが見れる作品。
しかし芋生さんも後のトークで言ってたけどこの作品のシナリオ、まあ短編で15分の作品だけど、紙4枚だったんだって。つまりあらすじに近いものはあるんだけど、かなり演者の即興に任せてたようです。そのせいで若干たどたどしいやり取りが有ってリアルになってる部分も確かに有る。そういう狙いかも知れないのだけどね。
ただ僕の聞いた話では、違う短編でも、同じやり方だったってその作品の主演の女優さんに聞いたんですよ。
高校3年生の仲よし4人組。ほぼ台本無しでそれもそもそも4人面識無しで、会って1時間も過ぎていないのに、3年間大親友だった風に、思い出とか語って!って。多分5分くらいそのシーン有ったと思う。無理矢理のエピソードを捻りだしみんながその話に乗ってくる下り。後で聞いてあれ、そうだったんだ~!ってね。その女優さんは予備知識がなかったんでそのやり方撮り方に、最初はさすがに???だったようです。
まあ始まればみんな女優ですから、やってやりましたよ!とか。
根っから怖い人種ですから、女優って。笑。
割とそういうの好きな監督さん居るけど石橋監督もそういうタイプみたいです、僕のリサーチでは(笑)
さてさて新作はどうなんだろう?若干知りたい(笑)
実はこの上映会の前日にも、芋生悠さん主演の「ひとひら」の上映会に参加、つまりは出演5作品を2日でまとめて観ると言う暴挙を敢行してしまいました。お陰で頭の中をここ2日程芋生ちゃんの残像が走り回ってました。それこそミニ芋生ちゃんが、チョコチョコと。

