何故か今まで行かなかった塚口サンサン劇場へと足を運ぶ。
所謂シネコンとは違う、古くからある劇場。スクリーンも4つ、噂ではユニークな上映回も有るらしい。
重低音ウーハー上映。
そう言えば、スクリーンの前がスピーカーだらけだった。ライブやるのかな?と思うくらい。きっとあれでしょうね(笑)
前の通りはよく行き過ぎるんだけどね。
20時からのレイトショー。
でもまだVol.1。これから続けていかれるのでしょうか。
関西ってショートムービーの上映の場が少ないって、結構僕も言ってたんで、こういう企画は嬉しい。ただ関西勢の作品がひとつ。
良い映像クリエーターの方々一杯居るんで、せめて半分は地元にしてくれないかな。なんて。笑。
この日は上映前に
「真夜中モラトリアム」の出演者の方々が舞台挨拶。
残念ながら磯部鉄平監督は絶賛撮影中の為、東京から戻れずでしたが。
7人もの方々が登壇。
ただね、
勝手が分からなくて、いえ、劇場。
前売りで例によって最前列買ってしまったら、
これがスクリーンがとんでもなく近い席。ずっと見上げながら見てました。
舞台挨拶の時、
そのスクリーンと最前座席との間に並んで皆様ご挨拶。
舞台上じゃないんです。
いやいや近い近い、座ってるこっちの膝が当たりそうなくらい(笑)
で、丁度僕の目の前に主演の南羽真里さんが。一生懸命、彼女目を逸らしてたよ。多分目が合うと吹き出しちゃう?のかも。
だって僕、GONさんと普通に喋ってましたからね、それくらい近かった。
で、余りにも近すぎて、写真が撮れず。さすがにスマホは向けられなかった。NGでは無かったんですが、如何せん近い。例えるなら電車で座ってる人が目の前で吊り革持って立ってる人を写す感じ、です。
なんか駄目でしょ(笑)
この作品をスクリーンで観るのは2度目。
かっての高校の同級生6人組のひとり、その彼女の葬儀の帰り。
残りの5人で飲みに来た。彼女の為にか、思い出を語る為にか、ただ単に集まりたかっただけなのか、
そもそも何故若くして彼女が亡くなったのかその理由すら語られない。
それは最後まで語られないんですが、何か分かると言うか、想像してしまえるんですね。彼、彼女達のやり取りで語られる亡くなった彼女の話を繋ぎ合わせていくと、多分彼女はこんな子だったんだろうなと。
クールで颯爽としていて、夢にまっすぐで、強い。
と、みんなてっきり思ってた。
南羽真里ちゃん演じる南波、そんな亡くなった麻衣子の本性さらしてやるって、昔埋めたタイムカプセルを掘りおこしに行こうと率先。みんなどこか仕方なくついて行く。
南波と麻衣子、反発しながら、どこか認め合ってた、そんな仲だった気がするんですよ、全然言葉では語られないけど。
タイムカプセル奇跡的??に掘り起こしされ、中に有った麻衣子のノート。
本音と野望の書かれたノート。
「わたしなら消してしまいたいから」
麻衣子の代わりに火をつけて燃やしてしまう。
僕ならありがとうって言うかも知れない。もうこの世にいない以上、自分では出来ないから、です。
ただ、南波、既に全部読んでしまってからの燃やし。
だから、高校時代に好きだった人の名前、知られてしまった。みんなには黙っててくれるようですが。
ちなみにモラトリアムって、大人になるまでの猶予期間、みたいに最近は使われるようになってるようで、多分この作品でもそういう意味のタイトルなのでは、と。
Windows updateは突然に
監督大北栄人
被せて被せての可笑しさ
展開早め、敢えて若干ダイジェスト風な編集でエピソードを畳み掛けてくる感じなんだけど、なんか全編に漂う緩さは何?笑。
こんぷれっくす✖コンプレックス
監督ふくだみゆき
アニメ作品です。
これ、実写だと駄目だろうなと言う作品。この役はさせにくい。
ワキ毛が好きな、勿論何でも良いわけではなく、そこにこだわりも有るんですが、そういう女の子のエピソード。恋愛じゃないんですね、男の子が好き!じゃなく彼のワキ毛が好き。そこの微妙な部分を描いてます。その分かりにくい「好き」の形は、今時のLGBTとかマイノリティの愛とか恋にも繋がるかも知れませんね。まあ、相手は人じゃなくワキ毛なんだけど。
そうして私たちはプールに金魚を、
監督長久充
結論から言うと、面白いよ。
ショートムービーの良さを存分に表してると思う。これ逆に長篇にされると間延びしちゃうでしょう。
予告編だけで全部見ちゃった気が若干しますが、
本編でも心地好いスピード感と退廃感と何かに抗う感情と虚無感と、でも今は今だと言う若さと、そして暴走ににも似た行動力、そんなものが味わえます。
どこか一歩引いて醒めてる、
そんな彼女達を有る意味ノンフィクション的な角度でカメラは撮ってるって感じで、彼女達の「瞬間」が垣間見られる、その時その時を切り取るように。
しかし、お祭りの金魚すくいから持って来ちゃった、400匹の金魚をプールに放す行為は、
はたして暴力なのか反抗なのか、
現実に対する絶望なのか、
単なる悪ふざけ?
ノリ?でしかないのか?
それともそれとも、
自由への開放なのか?
金魚に、自由を~!
少しは引っ掛かけてるけど、
そういう意味では無いですよ。
