桜の木の下で | いろはうたう

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 新宿の隠れ家的アートギャラリー「束の間」で絵画の盗難事件が発生した。警察は粛々と人員と権力を動員して事件の解明を進めているが、まだ犯人についての手がかりは掴めていないらしい。

 そんな話をギャラリーのオーナーである田中さんはひとしきり説明すると、

「というわけで佐藤さん、警察の捜査に加えて別の視点から事件を調べてもらえませんか?」

 と話を持ちかけてきたので普通に驚いた。そもそも俺は探偵でも何でもないのだけれど。

「今回の事件、どうやらただの盗難事件では終わらなさそうだからさ……」そう言って深刻そうに腕を組む田中さんを見ていると、断るのも野暮な気がしたので「まあいいですよ」と軽く請け負ってしまった。

 

 田中さんはお礼を言ってから、盗まれた絵画の作者が生前に懇意にしていたという画家の名前を教えてくれた。しかも「あと、ギャラリーの過去の客や近隣の住民の間で、絵画に関する噂や伝説を集めておいたから。きっと絵画にまつわる話が、犯人の動機や行動パターンにつながる手がかりになると思うんだよね」などと言ってくるので、田中さんは一体どういうポジションになりたいんだろう、と思いつつも、俺に対してはどうやら探偵役をこなして欲しいようなので、ギャラリーの書庫に保管されていた膨大な量の書物や資料、田中さんの集めた噂話に目を通していくことにした。

 

 調査は(当然と言えば当然だが)きわめて順調に進んだ。なにしろ目を通すべき手がかりは、田中さんが全て揃えてくれているのだから。

「佐藤さん、どうですか?」

 この人なんだかウキウキして楽しそうだな、という俺の気も知らず田中さんが聞いてくるので、

「どうやら盗まれた絵画には、こっそりと暗号が書かれていたようです。その暗号が盗まれた絵を探す手がかりになりそうです」

「おお、さすが佐藤さん!」

 いや、それあなた集めた資料に書いてあるじゃないですか、と田中さんの感心している様子が少し面白くて、俺もノリノリで、

「その暗号については、手元に絵がない以上、正確なところは解りません。ですが作家が生前に親しくしていたという友人の画家であれば、何か知っているかもしれません」

「素晴らしい洞察力! では、さっそく行かれるでしょうからタクシーを呼びましょう」

 

 というわけで俺は田中さんが最初に教えてくれた画家の家へと向かうことになった。そこは新宿の繁華街から少し離れた住宅街の一角にあるこぢんまりとした平屋で、表札には「杉山」と書かれていた。玄関の呼び鈴を鳴らすと、しばらく経ってから60代ぐらいの女性が顔を出し、俺のことを訝しげに見たが、どうやら田中さんから事情を既に聞かされていたようで「ああ、あなたが……」とだけ言うと家の中に通してくれた。

 客間の壁には杉山氏が描いたという風景画が掛けられていた。高いビルの上から新宿の街を俯瞰して描いたもので、独特で不思議な雰囲気がある絵だった。やがて「こちらになります」と言って杉山氏が見せてくれたのは、生前に画家が彼女に送った手紙のようだ。絵画に埋め込んだという暗号について触れられており、『真実の美は、時を超えて輝く。桜の下で、春の夜明けに、光は踊り、影は語る。』と書かれている。

 

「暗号とおっしゃいますけど、これは有名なポエムの書き出しですね」と杉山氏が言う。

「そうなんですか?」

「ええ。確か……」と言って杉山氏は記憶をたどるように宙を見てから、

「そう『星☆新一の世界』の中に収められている短編です。実際にその作品を書かれたのは星さんではなくて、英訳されたエッセイを読んでいた別の作家の方だったはずですが……。ええとたしか原題は『THE POOR OF SISTER SAKURA』で、つまり妹はかわいそうだみたいな意味だったような気がします」

 

「なるほど……」と言いながら俺は頭をかいて、ちょっと微妙な気持ちになった。

「でもどうしてこの書きだしが暗号なんですか?」と俺が聞くと杉山氏は少し困ったような顔をしてから、

「実は……、これは私の推測なんですけれどもね、彼は生前、新宿御苑の桜並木がお気に入りでしたから、きっと自らの絵画にも桜を入れ込んでみたかったんじゃないですかね」

「つまり、この暗号は新宿御苑の桜並木を指し示していると?」

「まあ、そう考えるのが順当かなと思いますけど……」と言って杉山氏は少し首を傾げた。

 

 杉山氏にお礼を言ってお暇し、タクシーで新宿御苑へ移動しながら田中さんに調査報告をする。

「そういうわけで、どうやら桜並木を指しているみたいですね」と俺が言うと田中さんは電話越しに興奮して、

「なんという推理力! これで絵画の隠し場所がわかるかもしれませんな!」と言って、こうしちゃおれん自分も新宿御苑へ向かいます、というので待ち合わせをすることにした。桜並木の入口で待ち合わせをして、二人で景色を見ながら歩いていると「やあ、ここだここだ」と言って、田中さんが盗まれた絵画の中の光と影が、実際の桜並木の中で一致する場所を見つけ案内してくれる。

 

「盗まれた絵画はないみたいですね、桜の根元でも掘ってみますか?」俺が気のない提案をすると、

「いえ、犯人が捕まったという連絡が警察からありました。ギャラリーの元従業員である山田君だったようです。盗まれた絵画も近くのレンタル倉庫で無事に見つかりました」と何だか満ち足りたような表情で教えてくれる。

「そうですか」と俺は、案外楽しいレクリエーションだったな、と考えながら話を合わせる。

「いったい動機は何だったんでしょう?」と俺が聞くと、田中さんはにっこりと笑ってから、

「さあね、私は警察じゃないのでわかりませんが……。ひょっとすると誰かに恋をしていたのかもしれませんね。あるいは借金とか」と言って目を閉じた。

 

「ところで今回の事件は佐藤さんの鮮やかな推理によって無事解決を見たわけですけども……」

「いや、それは違います」俺は手を振って否定した。実際違うし。

「しかし佐藤さん、あなたは数々の難事件を解決してきた名探偵ではありませんか」田中さんは楽しそうだ。

「いえいえ、それは誤解なんです」と言ってから、ちょっと考えた後で俺は続ける。

「今回はたまたま運が良かったんですよ」すると田中さんは俺の言葉を噛みしめるようにしてから、うんと頷いて言った。

「なるほど『幸運』ですか……、それは重要な要素かもしれない」

 

 それから二人で桜並木を後にして新宿の街へと戻っていく。街は夕暮れに包まれていて、どこからかカレーの匂いが漂ってくる。都会の人々の一日が終わる匂いだ。俺は歩きながらふと前を歩く田中さんのことを考えた。この人もきっとどこかで夕御飯を食べるのだろう。俺もそうするように。そう思うとなんだかおかしくなったので、田中さんには気付かれないように少しだけ笑った。

 

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