
3歳馬『シェンロン』の初陣と、私の呼吸――
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第1章:良血馬という期待を背負って
2026年9月12日、土曜日。
中山競馬場・第4レース、3歳未勝利(芝2000m)。
競馬中継のパドックにその馬が映し出されたとき、私はベッドの上で、まだかすかに動く右腕に力を込めて、画面を凝視していた。
その馬の名は『シェンロン』。
父はブリックスアンドモルタル、母はモアザンセイクリッド(母父・More Than Ready)という血統を持つアイルランド産の外国産馬。
半兄には2023年の菊花賞を制したドゥレッツァがいる良血馬で、一口馬主クラブの広尾サラブレッド倶楽部にて総額8700万円で募集され、大きな期待を集めていた。
当歳時の測尺から文句なしの雄大な馬体を誇り、GⅠ馬の弟らしい品のある佇まいは、多くのファンに「未来の栄光」を予感させていた。
本来であれば、昨年の秋頃に、JRAの煌びやかな新馬戦で、天性のスピードと底力を披露しているはずの器だった。
しかし、彼のデビューは「3歳未勝利戦の最終週」という、文字通りの崖っぷちまでずれ込んでしまう。
管理する尾関知人調教師がレース前に「脚元の関係で時間がかかった」とコメントした通り、体質や脚元の不安から順調な調整が叶わず、通常の2歳新馬戦の時期を大幅に過ぎてしまったのだ。
約1ヶ月じっくりと乗り込まれたものの、直前の坂路やウッドチップでの攻め時計(調教タイム)が一向に詰まってこない状態で、結局、本調子には遠い中での出走となった。
時間がかかった――。
そのたった一言の行間に、どれほどの焦燥と、もどかしさがあっただろうか?
私はそれを、痛い程よく知っている。
私の身体から「当たり前の自由」が奪われ始めたのも、同じように「時間がかかる」ことから始まった。ボタンを留めるのに、かつての倍の時間が必要になり、階段を一段上るごとに、呼吸が深く、重くなっていく。
ALS(筋萎縮性側索硬化症)という診断名が下されたとき、私の人生の時計は、それまでとは全く違う歪んだ速度で進み始めた。
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第2章:繰り返される頓挫の中で
シェンロンがゲートに辿り着くまでの道のりは、前述の通り、決して順風満帆などではなかった。
それどころか、血統という大きな看板を背負いながらも、彼がデビューするまでの競走馬生活は「歯痒い戦い」の連続だったと言っていい。
アイルランドで生を受け、日本へ渡ってきた外国産馬。その恵まれた馬体は、諸刃の剣でもあった。
530㎏という雄大な肉体を、まだ未完成な脚元が支えきれなかったのだ。育成の段階から、体質の弱さや脚元の不安による「頓挫」を何度も、何度も繰り返した。
JRAの華やかな2歳新馬戦が始まり、そして終わっていく。
同世代の馬たちが次々と勝ち名乗りを上げ、クラシックの舞台へ進む中、シェンロンはトレセンと放牧先を行き来するだけの中にいた。
直前の調教でも、約1ヶ月に渡ってじっくり乗り込まれたものの、坂路やウッドチップでの攻め時計は一向に詰まってこない。
このような状況に、一口馬主の出資者やファンからは
「わかった、もういい」
「もう無理をさせなくていいよ」
と、半分諦めの混じった悲痛な声さえ上がっていた程だった。
関係者でさえ、「現状で勝ち負けを望むのは酷だ」とわかっていた。
それでも、尾関調教師はレース前にこう漏らしていた。
「馬自身は何とか耐えて頑張ってくれています」と。
「馬自身が何とか耐えて頑張ってくれている」
その言葉が、私の胸の最も深い場所に突き刺さった。
ALSを患うということは、自分の身体が崩壊していく過程に、ただただ「耐えて、頑張る」ことの連続だ。
薬を試し、リハビリを重ねても、進行の時計は止まらない。昨日までできていたことが、今日できなくなる。
周囲から「もう頑張らなくていいよ」と言われることの優しさが、時にどれほど残酷に響くかも知る。
自分自身が「もう無理かもしれない」と諦めかける夜が何度あっただろう。
調教時計が詰まらないシェンロンと、どれだけ力を込めてもピクリとも動かなくなっていく私の足首。
周囲の期待という幻影に、現在の身体がどうしても追いつかない。
それでも、シェンロンの陣営は諦めなかった。
最後の最後、3歳未勝利戦が完全に終了する最後の1週に、なんとか調整を間に合わせ、たったひと枠のゲートへ滑り込ませたのだ。
その姿は、勝つためではなく、シェンロンの「競走馬として生きる証明」を果たすための魂の出撃だった。
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第3章:重馬場と、8枠17番
波乱を予感させるかのように、デビュー戦当日の中山競馬場の馬場状態は「重」だった。
たっぷりの雨を含んだ芝は、走る者すべての体力を容赦なく削り取るタフな、まるで湿地帯へと変わっている。
しかも、シェンロンに与えられたのは8枠17番。試練の外枠だった。
画面に映るシェンロンは、530㎏という恵まれた馬体を揺らしながら、雨に濡れたパドックを堂々と歩いていた。
その背に跨がったのは、数々の修羅場をくぐり抜けてきたベテラン・内田博幸騎手。
これ以上ない、心強い鞍上が引き受けてくれていた。
だが、ファンは冷静だった。どれほどの良血であっても、この急造の仕上げと馬場コンディションではさすがに厳しい。
18頭立ての14番人気。それが彼への評価だった。
11時20分。
シェンロンにとって、初めてのファンファーレが鳴り響く。
枠入りは順調。
発馬機内でも、落ち着いた様子に見える。
「ガシャン!」
というゲートが開く音と共に一斉に飛び出した馬群の中、シェンロンの行き脚は全くつかなかった。
何度も頓挫を乗り越えてきた530㎏の馬体を支える脚元は重い芝に捕らわれ、思うように前へと進まない。
内田騎手の手綱が早くも激しく動く。
大きく、力強いアクションで、まだレースの走り方を知らない彼に
「みんなの思いを背負って、走るんだぞ!」
と気合いを注入し続ける。
しかし、最初のコーナーを通過したときの順位は18頭中「17番手」。ほぼ最後方からのスタートだった。
私はその光景を見ながら、ALSを発症してからの数年間を思い出していた。
社会という速い流れのレースの中で、私は完全に取り残されていた。
周囲の人々が前へと向かって軽快に坂を駆け上がっていく中で、私の身体は、底なしの重馬場に足を取られたように動かなくなっていく。
「置いていかないでくれ!」
心の中でどれだけ叫んでも、筋肉は萎縮を続け、私の「通過順位」はみるみるうちに下がっていった。
歩けなくなり、立てなくなり、ベッドの上が私の世界の全てになった時、私はシェンロンと同じように、ただ先行する馬たちの背中を、遠い最後方から眺めることしかできなかった。
だが、シェンロンと内田騎手は、走ることを決して諦めていなかった。
向こう正面から第3コーナー。
泥が激しく飛び散る中、内田騎手の鞭がしなる。
それは単に馬を急かすためのものではない。体質が弱く、これまで全力で走ることを許されなかったシェンロンに、競走馬としての魂を叩き込むような、泥臭く、熱い鞭だった。
前を走る16頭の馬たちが巻き上げる芝混じりの泥が、シェンロンの馬体を容赦なく汚していく。重馬場の内回りは、一瞬の油断も許されない。
内田騎手は外へ、外へと誘導しながら、必死に前を追わせる。手応えは決して良くない。
それでもシェンロンは、内田騎手の激しい鼓舞に応えようと、首を低く下げ、大きなストライドを必死に伸ばそうともがいていた。
その泥まみれの姿が、画面越しに私の心を強く揺さぶった。
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第4章:18着、3秒7差
第4コーナーを回り、最後の直線。
力強く抜け出してくる勝ち馬たちの遥か後ろで、シェンロンはもがいていた。
中山の急坂へ。何度も頓挫を経験した脚元には、もうこれ以上、前を走る馬たちを捕らえるためのスピードは残されていなかった。
内田騎手は、最後まで諦めずに追い続けた。
しかし、同時にシェンロンの限界も察していたのだろう。
最後は無理をさせ過ぎず、それでもしっかりと、自力でゴール板を駆け抜けさせるように手綱を守った。
18着の最後着。勝ち馬から遅れること3秒7。走破タイムは2分06秒8。
良血馬のデビュー戦としては、これ以上ない程に惨敗と呼ぶべき結末。
JRAのスピードに対応しきれなかった、未完成の馬。
それが、この日彼に下された評価だった。
私の闘病生活もまた、健常な社会のスピードから見れば、毎日が「最下位の入線」のようなものだ。
食事の経口摂取ができず、直接胃に穴を空け、チューブで1滴ずつ栄養を注入されている。
自力で呼吸ができず、気管を切開し、人工呼吸器に繋がれている。
客観的なスコアをつけるならば、私は毎日、社会から何分も遅れてゴールしている「18着のランナー」なのかもしれない。
しかし、入線したあと、内田騎手に首を撫でられながら、ゆっくりと歩を緩めていくシェンロンの姿を画面で見た時、私は涙が溢れて止まらなかった。
彼は、途中で競走を中止しなかった。
そして何より、無事に戻ってきてくれた。
度重なる頓挫に心が折れることもなく、脚元の不安を抱え、重い馬場に苦しみながらも、中山の急坂を自分の脚で登りきり、2000m先のゴール線を間違いなく駆け抜けたのだ。
「無事にターフでの姿が見れただけでも嬉しい」
ファンが寄せたその言葉の意味が、今は痛い程にわかる。
18着という数字の裏側には、シェンロンがその瞬間に持てるすべての生命力を振り絞って「命のゲート」に立ち、最後まで走りきったという、絶対的な尊厳があった。
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第5章:泥だらけのデビューの向こうへ
シェンロンの明日は、決して明るいものとは言えない。
この先、1勝クラスへの格上挑戦を目指して現役を続行する道も模索されるようだが、それは更に過酷な戦いを意味している。
私の明日もまた、同じように厳しい。
ALSという病は、今のところ私に明確なJRAの「勝ち上がり」のような奇跡を約束してはくれない。
むしろ、いつか突然、一生を終えてしまうかもしれない。
けれども、私はシェンロンのあの2分06秒8の走りに、生きるための道標をもらったような気がしている。
大切なのは、誰かと比較したタイムではない。
どれだけ泥を浴びようとも、遅いとどれだけ指を差されようとも、自分が今立っているその場所で、自分の命の歩みを止めないこと。
不格好でも、未完成でも、何度も頓挫しながらも、最後までその日というレースを「走り抜く」こと。
その行為そのものに、生きることの本質がある。
シェンロン、君のデビュー戦は、世間にとってはただの「未勝利戦の18着」かもしれない。
だが、一人のALS患者にとっては、命の火を燃やし続けるための、美しい讃歌だった。
シェンロン、君のおかげで、私はベッドを降り、再び外へ出る勇気が湧いてきた。
私の未勝利戦は、まだ終わらない。
君がどこかの馬場で、再びその雄大な馬体を揺らして走るその日まで。
内田騎手が君の背を叩いたあの熱さを胸に、私も深く、強く、生きるための呼吸を続けてみせる。
(文;capybaracing)
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以下、編集者のあとがき(執筆者とは別の者が編集を行っています)。
常に脚元の不安との戦いを強いられた本馬にとって、「3歳未勝利戦の最終週に無事デビューを果たすこと」すら、綱渡りのような最終目標であった。
しかし、初陣を終えた陣営の口からは「一戦で見切ることはできない。格上挑戦も視野に入れる」との強気なコメントが飛び出す。(クラブ側の会費稼ぎという邪推は隅に置くとして……)その背景には、血統が示す「晩成型ポテンシャル」への期待や、馬を万全に仕上げた状態での走りを見てみたいという思惑があるのだろう。
今後のシェンロンの走りに期待したい。(ただ今年は、例年の3歳以上1勝クラスで比較的出走枠に余裕のある条件でもフルゲートになるなど、未勝利馬の格上挑戦が厳しくなっている現状にある。)