こんにちは!タコリーナです!![]()
引き続き長崎旅で御座います。。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
さて、、
今日は朝からハッスルしてトラム一日券を買い…
長崎市内を観光する予定。。。
だったが、、、
朝イチ早々トラムに乗って、、
(しかも方向を間違えた為、一回多く乗って)
それで満足してしまった。。
そんなわけで…
まったく元は取れなかったが…
車に乗り換えw出島にやって来た。。🚙
見たところ、そんなに広くないので、サッと見られそうな感じかな。。
出島は1636年、鎖国政策の一環として造られた扇型の人口の島で、、
長崎の有力な25 人の町人(豪商)が出資して築造されたそうだ。。
そこで、出島の歴史について少しだけ…
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
1543年のポルトガル船来航以来、、
日本とポルトガルは友好的に貿易を行っていた。。
そしてポルトガルは貿易だけでなくキリスト教の布教活動も熱心だった。。
ー中略wー
そんなこんなで…
着々と増え続けるキリスト教徒に、、
やがて幕府は危機感を持ちはじめ…(教会が立つ=植民地化されるのでは?と疑ったりもしたらしい)
キリスト教を取り締まることにした。。
そんな中、築造された出島は。。
初めはポルトガル人を収容し、キリスト教の広がりを防ぎつつ、貿易を掌握する役割を果たしていたが…
島原・天草でキリシタン農民による一揆が勃発し…(藩主の悪政やエスカレートするキリスト教弾圧等が原因で起こった一揆)
鎮圧に苦戦した幕府は、、
『やはりキリスト教は危険だ…』と、、
益々キリスト教徒への弾圧を強め…
1639年、鎖国令が下されると…
ポルトガル船の日本への来航は禁じられ。。
出島は一時無人島となった。。
そうなると困るのは南蛮貿易によって利益を上げていた25人の豪商達…
思惑外れて大ピンチ…
慌てて幕府に平戸にあったオランダ商館を出島に移すよう嘆願し、幕府もそれを受け入れた。。
そうしてオランダとの親密な交易が始まり、出島は復活。(オランダは布教活動を行わず、純粋に交易だけを行うというスタイルだった)
その後、1853年のペリー来航等で、、
日本が開国するまでの…
200年以上もの間、、
日本とヨーロッパとの唯一の貿易地として、、
また、蘭学等の情報の収集&発信地として、、、
その役割を果たしたそうだ。。
※※※※※※※※※※※※※※※
さて、いよいよ出島に入場だ。。。
当時の出島は出入り出来る者は限られていたそうだが…(商館で働く者や遊女など…)
入口では…
刀を挿した門番が“快く”迎えてくれた。。

出島は開国後、埋め立てなどにより徐々にその姿を失った為、、
現在見られるのは、戦後の復興計画によって再現されたものだ。。
長い年月をかけた発掘&調査により、かなり忠実に再現されているという。。
確かに…
建物や街並みは、かなりのタイムスリップ感を味わえて楽しい♪
しかし、それもさることながら、、
館内の展示内容の面白さに夢中になってしまった。。
堅い内容が多くなってしまうので、ここでは割愛するが。。
一つだけ…
ゆるめの展示を紹介することにする。。

もう大満足♪
さてさて、、
あっという間に昼になってしまった。。
お昼ごはんはどうしようかな。。
そうだ!
昨日、雨嵐で断念した出島ワーフでもリベンジしようかな♪
そんな感じで…
ではではまた!
後程ーポ!!











