こんにちは!タコリーナです!![]()
これは2019GW.ミラノ〜ミュンヘンの旅日記です。。
慣れたイタリアと初ドイツ。。。
いぇ。。
慣れた“つもりの”イタリアと、、、
初ドイツ、、、

毎度毎度ではありますが。。。
珍道中。。。
ではでは今回も参りましょうか、、、
アンディアーモ!!

第一回目はコチラから→伊独旅日記①
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前回、前々回と。。。
スフォルツェスコ城に関するお話をいたしました。。
さて、、、
今回はそのつづき。。
スフォルツェスコ城とレオナルド・ダ・ヴィンチのお話です。。

↑レオナルドの作品?!と思ったら弟子の作品だったらしい『聖母子』。。(笑)
因みに絵画館の写真は撮り忘れているので本物の写真はありません、、、
話が逸れました、、、
レオナルド・ダ・ヴィンチとスフォルツェスコ城の話をしましょう。
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トスカーナの自然豊かな田舎の村、ヴィンチ村で公証人の父セル・ピエロの私生児として生まれたレオナルド。。。
恵まれた教育を受けることは出来なかったものの、自然の中で観察力、洞察力を育み。。
あらゆる事に興味を持つ中で、特に絵を書くのが好きな少年に成長。。
その才能に気付いた父は、レオナルドが13才か14才の頃(1464〜65年)彼を連れてフィレンツェへ渡り…
超有名だったヴェロッキオの工房へ弟子入りさせたのです。。
当時のフィレンツェは。。
絵画以外にも彫刻、土木、家具、等々…
刺激的な工房が一杯♪
好奇心旺盛なレオナルドもあらゆる事に興味を持ち、そして勉強、吸収していきました。。
勿論、絵画の方も師匠ヴェロッキオの元で腕を磨き。。
『受胎告知』『カーネーションの聖母』等を制作し、才能を発揮しました。。
その才能を決定づける話として、、
ヴェロッキオの『キリストの洗礼』の中の天使の一人をレオナルドに任せた際。。
その仕上がりを見たヴェロッキオが、、
あまりの素晴らしさに。。。
「こ。。これは、、、!
」
「完全に自分を超えているやん。。
」
そう悟ると、その場で筆を折り、その後は彫刻に専念。二度と筆を持つことはなかった…
と言う有名なお話が有ります。。
さて、
そんなレオナルドは、、
27才の時に一念発起。。
ヴェロッキオの工房から独立します。。
しかし…
独立と言うのはやはり、、
いくら才能があっても営業活動等、難しい事も多く。。
簡単には行きませんでした、、、

時はルネサンス全盛期。。。
路頭に迷うレオナルド。。。
そんな時、、
多くの芸術家のパトロンとしてルネサンスの発展に力を注いでいたメディチ家当主、ロレンツォ・デ・メディチの計らいで。。
ミラノ公の元での仕事を提案されます♪
(ロレンツォの政策的な狙いもありつつ…)
そして自己アピールの為の自己推薦状を書く事になりました。。
その推薦状にレオナルドは、自分に出来るであろう事(或いはそれ以上…笑)を書きまくります。。
特に軍事に関わるあらゆる技術(武器、要塞、水道技術、船etc…)を猛アピール。。
(何せ当時北イタリアは勢力絶大なヴェネツィア共和国と丁々発止の状態にあり、、強固な軍事技術を求めていましたので…)
また。。。
軍事技術に関しては『それらの技術は平時には都市計画に役立てることが出来ます♪』
と書き添える等、ぬかりありませんでした。。
兎に角、軍事技術アピールが大事だと。。
そして本来の芸術家としての仕事に関しては、
最後に遠慮気味にこう書いたとか。。
『それと絵画、彫刻、楽器の制作、舞台装置や演出技術なんかも出来たりなんかして。。』
小さくアピールしたそうです。。
その結果。。
晴れてレオナルド30才の時。。
時のミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァ(イル・モーロ)により宮廷に招聘され、、
ミラノに渡ったのです。。
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と。。。
ここまでがレオナルドがミラノに渡った経緯で御座います。。
その後、レオナルドはミラノでその才能をどんどこ発揮♪
スフォルツェスコ城の一部の設計にも加わり。。。

ナヴィリオ運河の設計をしたり。。

『白貂を抱く貴婦人』(ルドヴィーコの愛人の肖像画)を描いたり。。
(実物はポーランド クラクフ国立美術館に収蔵)
※写真は昨年グラツェ教会近くの文房具屋で買ったレオナルド・ダ・ヴィンチ・トランプ。。(笑)

大作『最後の晩餐』を依頼されたり。。
他にも、音楽や舞台芸術においても実力を発揮しました。。
(ルドヴィーコ公は音楽に造詣が深かった為、レオナルドの音楽的才能もとても気に入っていたそうです。。)
勿論、求められていた軍事に関しても驚くような武器や技術を次々と提案。。
その奇抜で高度過ぎる仕組みに、当時の生産技術が追いつかず、、

実現しなかったものも多々あったそうな。。。
その後。。
1499年のフランスの攻撃でルドヴィーコ・イル・モーロが敗走し、、、
レオナルドもミラノの地を去りました。。。
しかしミラノでの仕事はレオナルドにとって…
それまでコツコツ勉強し、研究を積んできた事を。。
次々と実践するチャンスを与えてくれ。。
(少しハッタリ気味に書いた推薦状の中身も晴れて実践出来たり…笑)
発明家としても大きな成長を遂げる足場堅めとなったのです。。
さて。。。
その後のお話はまた改めるとして、、、
1482~1499年の間、スフォルツァ家に仕えたレオナルド・ダ・ヴィンチ。。
今年2019年は没後500年ということもあり…
各地でLeonardo500と称したイベントが開催されている様です。。
スフォルツェスコ城では。。。
2019年5/2〜2020年1/12の間。。
レオナルドの天井画『アッセの間』の特別大公開も開催されています。。
詳しい情報はこちらから→イタリア政府観光局HP
タコ夫妻は残念ながら。。
5/1にミラノを立ってしまったので。。
見ることは出来ませんでした。。
また、、、
付属美術館では常設として。。
レオナルド・ダ・ヴィンチ・コレクションという施設があり。。
パンフレットによると、、、
レオナルドに関するあらゆる資料が収集されており(5000点の写本、2000 枚の写真)。。
世界的に重用な図書館として国から公益信託として認められているそうです。。。
タコ夫妻は残念ながら。。

ミケランジェロのピエタで燃え尽きてしまった為、入館は見送りました。。
え。。?
熱く語っておいて、スフォルツェスコ城で全然レオナルド・ダ・ヴィンチのもの見てないじゃんかよぅ!
なんて思いますよね。。。
いいんです、、
この後行くところにその楽しみはとっておくのです。。
まぁ、大失敗もあるのですが、、
理由は次回明かします、、、
そんなこんなで。。
ミラノにもし行かれた際には是非。。
ミラノの歴史の一部やレオナルド・ダ・ヴィンチの足跡を感じながらスフォルツェスコ城を楽しんでみて下さいませ♪
ではではまた!
後程ーポ!!
しかも3枚揃ったらって。。
以上です。。(笑)





