「晴耕雨読」という言葉がある。
釣り人にとってはまさにそれで、
雨の日や風の日、釣りにいけない日は本を読む。
けれど正直なところ、
ここ何十年も「これは凄い」と思える一冊には出会えていない。
結局また、よくある釣りの本を引っ張り出してきて、
同じページを何度も読み返すことになる。
そんな中、面白い動画に出会った。
そこで語られていた言葉がこれだ。
「密漁こそが真の釣りである」
最初は「は?」と思った。
もちろん密漁が良いわけがない。
資源管理は絶対に必要だし、ルールは守らなければならない。
それを管理するキーパー的存在も不可欠だ。
でも、その言葉の奥にある“精神”については、
少し考えさせられた。
守られ、整えられ、管理されたフィールド。
放流された魚。
ルールの中で安全に楽しむ釣り。
それは確かに素晴らしい。
けれど、どこかで
「これは本当に自然に向き合っているのだろうか?」
という疑問が湧いてしまう。
真に自然に根ざすとはどういうことなのか。
人の管理から少し外れたところに身を置く感覚。
誰にも保証されない不確実さ。
おそらく動画の言う「密漁」とは、
違法行為そのものではなく、
その“野生に踏み込む覚悟”のことなのだろう。
だから私は、
放流主体のトラウトフィッシングや管理された渓流に
いつの間にか足が向かなくなったのかもしれない。
整いすぎた自然に、
どうも趣を感じられなくなってしまった。
そんなことをあれこれ考えているうちに、
日曜日は静かに終わっていった。
フライも巻かずに。
晴耕雨読とはよく言ったものだ。
考える時間もまた、
釣りの一部なのかもしれない。