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故、みず谷なおき先生の代表作「人類ネコ科」は、かつて、OVA化の記事が、カラー2頁で紹介された事があった程の人気を博しました。

掲載雑誌に於いて、OVA化が発表され、Castもほぼ決まり、映像の写真も数カット掲載されていました。ですが、結局発売されず、お蔵入りになったようです。

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しかし、これは抑々ガセ企画で、雑誌の隅に、
「これは嘘企画です。ごめんなさい!」
と断り書きがありました(笑)

ですが実際「人類ネコ科」のOVA化の企画が持ち上がってたのは本当のようです。

ただ、みず谷先生が頑なに断った為、実現には至りませんでした。

当時のOVAは、アタリハズレが多く、本当に酷いのになると、《金返せレベル》であった為、アニメ通でもあった、みず谷先生は、自分の作品が不本意なアニメ作品に仕上げられるのが、耐えられなかった…からかも知れませんね。

とにかく、みず谷先生の頑固ぶりは増刊サンデー編集部でも、伝説になっていたそうです。

何せ、週刊少年サンデーへの連載を打診されたのに、絵のQualityが維持出来ないとの理由で断ったそうです。

新人で週刊誌連載を断ったのは後にも先にも、みず谷先生だけらしいです。

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みず谷なおき
(1960年7月4日~1999年2月8日)

愛知県出身。

本名は水谷直樹。

望月三起也のアシスタントを経て、1983年、「ズーム・イン!」でデビューしました。

1980年代、『週刊少年サンデー増刊号』にて「人類ネコ科」、「ブラッディエンジェルズ」等のラブコメを発表し人気を博します。

1990年代には、『月刊少年キャプテン』に舞台を移し、質の高いコメディを世に送り出すものの、完璧主義の上、病弱な身体だった事もあり、寡作でした。

1993年頃からはスランプに陥り、殆ど活動していませんでしたが、1998年頃より、徐々に復帰し始めます。

しかし、「Hello! あんくる」最終回の執筆を開始するものの、就寝中、突然身体に異状をきたし、1999年2月8日、急逝。享年38歳の若さでした。

アシスタントを使わず、飽くまで一人で原稿を描く事に拘わりました。

主要作品。

人類ネコ科
1985年~1986年週刊少年サンデー増刊号、連載。小学館。全3巻
1992年、小学館より再版、全2巻。
1999年、小学館より再版、全2巻

ブラッディエンジェルズ
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1986年~1987年、週刊少年サンデー増刊号連載。全2巻。
1994年、小学館より再版、全2巻

Hello!あんくる(未完)
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1992年~1994年、月刊少年キャプテン連載、徳間書店。全1巻。
1999年、徳間書店より追悼版発行、全1巻

ジェミニストリート
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1988年~1989年、週刊少年サンデー増刊号連載)
尚、作者の意向により、単行本化予定無し。

私にとって、人類ネコ科は、永遠のBibleの一つです。