みなさん、あらためましてこんばんは。るるんです。
’金曜日の夜だ、夜だー
’と騒いでおきながら、もう一本ブログ書いちゃおうとするあたり、基本、るるんは暇人みたいなようでありますね、ははは。
いえいえ、’「今日は」暇である’と、思ってくださいませ。(←お願いしてどうする)
愛したいのに愛せないもどかしさは、せっかく目の前にある豊かさが遠のくというか、どなたもが思うようにこころからしてリラックスしないため、ご自分からしてもまた辛くなってしまうものであります。
誰かを陥れたり、意地悪しちゃいたくなる感覚は、人間にはつきものであります。
「あの人を取ったあの女がイジメラレテいるのを見ているのはシアワセ」という方もありましょう。
そうしなくちゃご自分の気持ちに収まりがつかないこともありましょう。
とはいえ、そういうことはなさらないでおくに越したことはありません。
必ず、その方に向けて放たれた意識がいつしか倍となって、ご自分に戻ってきてしまうのですよね。
これもまた、割とまとをついてます。
’どうか、るるんと同じ轍を踏まないでね’なのであります。
そして、男のヒトから受けちゃった「なんで?
」という気持ちは、男のヒトでないと癒せないところがあるので、ぜひ次、お探しくださいませ。
間違っても、「あの人だけを思ってあたしは生きていくー」とかいう考えはしないようにしていただきたいであります。
’るるんには好かれたくなーい’という方は多くありましょうが、基本的に人間様は好かれるのを好むであります。
同性、異性関係なく、老若男女関係なく、好かれるのは’きゃあん’やっぱり嬉しいのであります。![]()
でも、飾った自分を好かれてたところで、一度や2度はその飾った通りに行動できても、自分が疲れてきちゃうのでありますね。
愛したいのに、愛せないもどかしさは、ご自分がへろへろに疲れてしまっているときに本当に頻繁に感じられる感覚ではないでしょうか。
同時に、「何よ、あんた」と思っちゃった対象のヒトからどんなによくしていただいても、「悪いんだけど、あんたは傍にこないで」みたいな風に思ってしまったりなどということもあります。
人を愛するということは、自分がどれだけ愛されたかによる記憶によって、上手誰かを愛することができたり、逆にどうにも素直になれなかったりいたします。
子供の時分では若干違いはあるようなのですが、大人になって「愛されたい気持ちをわかってよ!」という方は、るるんをはじめとしてたくさんいらっしゃるかと思うのですが、相手はほぼ理解しないと考えると、この悩みの答えはあっさり見つかります。
相手がまた同じように考えているからによるものであります。
そんな時の必殺技で、「もう、仕方ないから、こっちから全部愛しちゃう」というのがあります。
自我は、「え、どうしてアタシばっかりそうしなきゃいけないの?」とかいう思いがわき起こりますので、「もういや、割に合わない」と思っちゃったりもいたしますが、愛されないと愛してあげないでは、あまり愛してもらえないと考えられると良いかもしれません。
基本、人間様はあまのじゃくでありますためです。
だたですね、腕力、言葉ともども、ご自分に暴力を振るわれちゃったりする場合は、逃げましょう。
一緒にいては、ご自分がおかしくなります。
愛というのは、挨拶にはじまり、笑顔だったり、席をゆずってみる優しさだったりすべてに含まれるため、マニュアル的になるかもしれませんが、とりあえず、人には善をつくしておくと、人から救われたりすることが多くなってきます。
中には、いやー、ほんとーにいっじわるい方というのはおりましてですね、傍にいるとエネルギーまで吸い取られているんじゃないかという錯覚が起きる時がありますが、そういう場合にも、遠慮なくその方の傍から離れましょう。
仕事でのお付き合いはどこか目をつぶる必要が出てきましょうが、プライベートではご一緒しないほうがよいはずです。
そしてですね、愛されたいのに愛されないもどかしさを感じてしまうなら、そう感じないでいられる人や物事、動物ちゃんでも良いので、探し当てることであります。
人間は70億いる世の中であります。必ず、必ず、見つかるであります。
相手の方とは言語が違ってしまう場合もありましょうが、出会えるヨロコビとは常にかけがえのないものでありますので、「しましょう、その言語のお勉強」であります。
エネルギー不足で人と付き合えないというときがありまして、中でも鬱病というのは、鬱鬱する気持ちがあまりにも長引いてしまうと、脳みその分泌が上手く為されないことが多くなってしまうのですね。
初期段階を見逃してしまうと、真正鬱病まっしぐらになってしまいますため、「なーんかおかしい」と感じてかなり時間が経つときは、ぜひぜひ、専門家の意見を仰ぎにお出かけくださいませ。
「あーたは川で拾ってきた」とるるん母に云われ育ったようなるるんでありまして、悔しく思ったるるんの思春期の頃などは「モーゼじゃないんだから、そんなことあり得ない」とはむかったことがありました。
そこでるるん母が気づいてくれたら良さそうなものを、「あそ、じゃ、橋の下だったかしらね」と追い打ちをかけるあたり、今では幼児虐待言葉編であり、彼女などはおとがめがあるかもしれません。
身体と態度はでかくなっても、こころまではすくすくとは育てなかったるるんに転機が起こったのは、一人の芸術家の方のご挨拶でありました。
アレックス・カッツというアメリカ人の画家でありまして、例のるるんが猫に名前を付けたもくちゃんのお宅に滞在していた時に、その方がお仕事で見えたことがありました。
ぺらっぺらな英語を話するるんはハッタリ英語ともいうレベルでありますので、’こんにちは、るるんです’くらいはみなさんに理解していただいたようですけれど、会話となると、NHK英会話のテキスト通りにことが展開してくれないと、もうお話しにならないのであります。
そのムッシュ・カッツが来られてお仕事を済まされて帰られるとき、その場にいたお一人、お一人に向かってしっかりと、’So long’と仰るのですね。
’さらばだ’とみなさんに挨拶されていたわけでありますが、ハッタリ日本人るるんにもちゃんとそーろんぐなどといっていいただいた時には、「わー、すごーい。あれだけ有名な画家さんなのに、私にも、みなさんと同じようにしっかり挨拶してくれたー
」と、もう仰天いたしました。
で、大変にありがたく、嬉しかったという記憶がありまして、この出来事のお蔭で、るるん自身がとても救われた気持ちになったのでした。
それからまた紆余曲折がありますので、あっさりと「もう、みんな愛しちゃう
」などというようにはもちろんなりえませんでしたけれど、このきっかけが大変大きな出来事となりまして、それこそ愛したいのに愛せないもどかしさ+「くそ!」などと思うことが多いときによくこのエピソードを思い出しては、「そうだ、そうだ、ああいうことで救われた気持ちになったぞ、私も」などとなんとか自分を慰めまぎらわし、明日へといきるるるんであった、みたいなノリで生きております。
http://www.e-fukugyou.net/qavmw/
長くなりましたよねー、すみませーん。
今日はもうこれ以上お邪魔しないので、みなさんには、ぜひぜひ、良い金曜日の晩をお過ごしになってくださいねー。
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るるん