JET STREAM・・・作家が描く世界への旅。


今週は、画家・大竹伸朗のエッセイ『カスバの男 モロッコ旅日記』を、一部抜粋してお送りしています。


今夜は、その最終夜。


7月22日。


終わってみれば、200枚のスケッチと1000枚の写真を撮影していた、11日間の旅。


旅の終わりのマラケシュで、画家は何を感じたのだろうか?


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ガイドブックには、特に見る所無し、と書かれている新市街を歩いてみる。


中心のモハメッド5世通り沿いをぶらついてみると、広い道路の両側にビジネス用のホテルや商店が並び、タンジールよりずっと都会的な大きい街に感じる。


地元の人々のためのレストランやカフェも多い。


旧市街のメディナは確かに興味深いが、タンジール、フェズとメディナの中を歩き回ったせいか、正直なところ、マラケシュではそうした、単なるだだっ広い普通の通りの方に惹かれた。


マラケシュの耐え難い午後の日差しの下、ストリートは静まり返って、歩く人も無い。



[新市街]


オフィス街の角に面した店で、羊肉の串刺し炭火焼きを、ぬるいコーラで流し込んだ後、ホテルに戻る。


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ストロボをたいて撮影すると、一瞬の強烈な光と共に、対象となる像が網膜に焼きつく。


光を一切遮断した部屋の中で、像が焼きついた何秒間かは、目を開けてても、閉じていても関係の無い状態に陥る。


目を閉じながら見る風景は、実に不思議だ。


「見る」事の不思議さと頼りなさを、一緒に感じる事になる。


全く目を閉じていても、例えば風景の中にある窓の数は、実際にその風景を一瞬しか見ていなくとも、像が徐々に消えゆく間に数える事ができる。


目の前の極限の光に包まれた通りを、色とりどりのカフタン、ジェラバ姿の人々が行き交うのが、確かに見えるのだが、瞬間、目の前の光景が宇宙の真っ暗闇と結びついてしまったような感覚に陥る。


これほど光に溢れ、色が強烈な意思を持ち、自分の内側に入り込んだ体験は、初めてだ。


そしてその光景を、紙に移動させる事に何のためらいもないはずなのに、その間にもう一つ「間」が必要な事に気付く。


きっと風景の中に座り、見て描いた方がいい風景と、目に焼きつけたまま汗だくで部屋に帰り、水のシャワーを浴びている時の方が、くっきり見えてくる風景とがあるに違いない。


その、見てから写し取るまでの「ズレ」の差は、風景の季節、その光や天候によっても大きく異なるのだろう。


もしかしたら、僕が体験してきたモロッコでの時間そのものも、そんな感じなのかもしれない。


モロッコに関して全く無知な自分の時間の流れの中で、体験が一瞬光り、そして徐々に消えていく。


僕は、一体何を見たのだろう?


何をと言い切る事はできないが、確かに何かが粘度の強い液体になって、脳みその中をだるくのたくるのだ。


東京というのは変な所で、海外から戻って新宿の歌舞伎町を2時間もぶらつけば、もう過去の時間を消してしまう、強い酸性の同化作用を持つ。


しかし、今回は全く違うであろう予感がする。


何かが残るであろう事を、感じる。


【画像出典】