先日,母が亡くなってから一年が経ちました。兄夫婦が立派な一周忌の法事を取り行ってくれました🙏
姉と母がいない実家には、そうそう帰る気にならず、しかも子供の学校もあるし、イギリスから手を合わせてみんなで般若心経をとなえました。
母も姉も死に際には、これまで意固地なまで頑なに持っていたこだわりが一切なくなり、もうどうでもいい,と言っていました。遺志を叶えてあげたいと意気込んでいた私は拍子抜け。それを聞いて,私は実感したのです。生前どうであれ,もういよいよとなったら何もかもどうでもよくなるのなら、生きている間にもこだわりはそこそこにしておこうと。
また、私はこれまで良い子を装っていたのですが、死ぬ時には人が自分をどう思っているかもあんまり気にならなくなるみたいです。しんどくてそんな余裕もないみたい。だから他人の目は気にせず自分の道を行く。日本人の平均寿命は長いけど、だからと言って自分も長いとは限らないから、一瞬一瞬を大切に。
大切な二人は死ぬ姿を通して私をとても自由にしてくれたのです。
過去世でのつながりは、母は前世では私の息子で子供の頃に病気で亡くしてしまいました。私は祇園の漬物屋さんのおかみさんでした。母も私もお漬物が大好きなのはここからきてるのかな。
姉はずーっとずーっと前の過去世で、私がある神社の神様の侍女をしていた時の同僚(?)です。みんなで神様を囲んで池の端で天女のような羽衣を着て竪琴を弾いたり歌ったり横笛を吹いたりして、優雅な雰囲気。夢見るような神仙の世界です。最期はその神様のご加護でコロナ禍の最中なのに、病院ではありえない程の好待遇を受けて、母に添い寝をしてもらい、眠っているうちに逝きました。
母が命日に見せてくれた虹🌈。虹は姉のサインでしたが,母も使えるようになったみたいです。