【魂の羅針盤】ネガティブが大事な時代!

こんにちは。
山原裕之(せんちょー)です。

あの、、今月から単発でバイトを
始めてます。

今までは子供のこととかあって
なかなか踏み切れなかったのと
なにか気のりしなかったのと
両方あったんですが

子供たちも思った以上に休まず
ちゃんと学校も学童も習い事も
いってくれてるので
(まあ色々はありますが💦)
やっと外に向かう余力が出てきたみたい。

まあ、嫁さまから

余裕でてきたならバイトでもして

ちょっとは働け!

と絞られてるのも大きいですが

なにかきっかけが欲しいなあ

って思い始めてましたので。


本業じゃないにしろ
なにか外で働くっていうのは
それだけで刺激で活力なんですよ。

え?そんなことより

本業死ぬ気でやったらいいじゃないの?
とか

もっと自分らしくできる起業塾あるよ!

とか

色んな声は在りますが、

 

そういうものには乗る気はなくて

そういうのはやらないと決めて
ここにあるこの今なので。

(あ、もちろんそれぞれにおいて

尊重しての上ですよ!)

 

まあ、そこがジレンマだったんだけどね。

 

そっちにむかわず

自分の負とトコトン付き合うぞ!って
決めて直視していった。

 

で、


人にアレコレ言う前に、
まず自分が負をさらけ出していくぞー!
って肚くくった。


もっともらしいこと言ってるより
自分のこの有り様、

「成り上がっていない様」を
出していこうじゃないかって。

正直内心

ちょっと恥ずいなあ、、💦

ダさかっこわるいわあ。。。
ってモゾモゾしながら書いてますよ。

でもね、

よくあるような逆境乗り越えた
成功者の美談として語る失敗談や
見せてもよい情けない過去ではなくて

まったく成り上がってもいない
全然いけてないままの自分の様も
卑下ずひるまずさらけ出していく
ことにしたんです。

負は味方だって思えてきたから。

垂直にも水平にも広がる負の恩恵!


負って、悪いものじゃなくて

糧にするもの、できるもの。
そこから転じていく反動になる

垂直的な力となるもの。

だけどこれだけだと
自分の力に変えてうまくいき

形にできたら人に誇れるけど

そうできなくて形になってなかったら

見せられないし人さまには語れない、

やっぱり誇れない自分に据え置いたまま。

苦難福門ってその通りなんだけど
上手くいかすこと前提だもん。
 

垂直方向の話は、

負をそのまま認めてくれてない

感じがしちゃう。


でもさ、

いかなる負も
負ってそれだけで

価値があるって分かったんだ。


これだけは間違いなくいえる。

負によって、人は
深い感情の広がりを深め広げている。


苦しみや悲しみ、もどかしさ
むなしさ、歯がゆさ、やるせなさ、

そんな負の感情って
間違いなく人間としての深みとなり
他人の痛みにも寄り添える奥行きを
もたらせてくれている。

深く微細に広がり深まっていく

他の人たちと深いところでつながっていく。

上手くいったから誇れる自分って

どこか根底では

上手くいかない自分は認めてないから

直視できずに伏せ覆っているもの。

 

だから上手くいってる自分に

しがみついてしまう。

成果がだせたから安心できる自分
今結果を伴っていられるから誇れる自分
ここに収まっちゃう。
 

そうであるかぎりどこまでいっても
上手くいかない自分を認めきれないまま。

 

他人に対しても

前向きに努力していけよ!
上手くいかないのはそれをやらない

お前が悪いんだ!

 

という無言の圧力になったりもするよね。

もちろん上手くいくなら上手くいくで善し!

垂直方向ももちろん大事だよ。



でも、そこだけでなく

水平方向への広がりも同じように

大事なものなんだよ、って言いたいの。

 

上手くいってない様も

それだけで価値があるものだって。


その人の人間のヒダ、受容の広がりを
ひろげふかめていく熟成であり
発酵になってるんだよ!

ってこと言いたいの。



これって全然言い訳、負け惜しみじゃ
ないから。

まっすぐと痛いほどに
自分という様を受け容れいている。
疼きも味わっている。

ごまかさず、強がって覆い隠さず、
負というものをドンと受け入れてる。

それを
人間としての尊厳をもっていられてる。


弱さゆえに微細に感じ取れる
痛々しさ苦々しさ、やるせなさ、、
大変な思いをしてることは
おなじように大変な思いをした人と
分かち合っていける「共通の泉」。
 

苦悩ってわざわざあえて

欲しいものではないけどね。

でも、もしもたらされたとするならば

それは授かった大事なもの。


人間共通の奥深いところにある
「大元の源泉」でつながっていける

ってことだから。

ただの名も知れぬ
おじいちゃんやおばあちゃんに
なにかふかーい情愛というか
人生のあじわいを感じてしまうことって
あるでしょ?

年齢関係なくても感情の深みを
感じて分かち合ってくれる人への
なんともいえぬ有難みやぬくもりって
感じたときってあるでしょ。

つらい思いのときに、
それをアドバイスや励ましではなく
ただ、その辛さを感じ取ってくれて
分かち合ってくれることの力強さ。

奥深いところでの繋がり、結びつき、
これが水平方向の豊かさ。

 

根源的なものと繋がる豊かさ。

 

愉しく自分らしく

嫌なことせず上手くいく!

・・ていうのも悪くないけど

どっか薄い感じがしちゃうんだ。

大方共感するけど、どっか

ご都合的な色合いを感じてさ。

(それもそれで善しと含み入れつつ)


人間の醍醐味って
人生に起り得る「煩悩や業」
思い通りにいかぬ苦しみが

あってこそ熟すものだから

 

欲しくないけど

もたらされたなら

真っ向から迎え入れてあげる。

それを転じて福と為す
成長や成功への糧にもできるし

ただそれによって
人間の、人生の深みを増していく

共有の味わいともしていける。
 

こうやって負を仲間にできるなら

なにがあろうが疼こうが
どうであろうが悶えてようが

 

そうである
この今この己を誇れるよね。

・・・ってことで

どうであっても全方位が〇!

と思えてくるのだわ。

 

ってことを
自分が今、

それを実感実践してるわけです。

恥ずかしさ、気まずさを

もどかしさをもったまま、

誇れる自分だと思えているし

その深まりを愉しんでいる。

 

その上で

その負を反動に垂直に向かおうと

しているところです。


人間にはもともと
成長したいし、上手くいきたい
素敵な欲求があるから

無理やりケツたたかなくたって

自分にもどってきたら

人は勝手に登りたくなる。

それを待ってあげる場、

そう思える隙間、風穴を

この世界につくって

いきたいんだ。

 

ただひたすらに
自分との一致かどうかを
感じ合い気づいていく場。

正解もゴールもないけど
きっかけにしていく関り。

教える教わるではなく

感じて気づいていく場。

開いていく場。


自分に還る場。


魂の宴!メラメラ

みたいなもんだと思う。


それがやりたいこと。

・・・さて

これをどうするか、を

方法を考えるとふんづまるので、

内側の振動から導き出そうと

してるところです。

 

そんな大げさに構えなくて

よいんだろうけどね💦


根が真面目なのも

自分ですし。ニヤリ