【魂の羅針盤】否定がないから、否定すら受容!

 

みなさまこんにちは。

素の自分に戻る案内人

山原裕之です。

 

今週は

月曜長女が始業

火曜日が次女入学式

水曜日が次女バス通学開始

木曜日が三女入学式。

 

うーん、盛沢山ですニコ

 

特に自閉症次女の

バス通学は乗り遅れると

車で送っていかなきゃだから

ここは乗り切っていくところです💦

 

バス停まで歩いて約30分だもんな。

送っていくほうが早いかもだけど

バス通学でやっていきますよ。

 

ほんとこういう日々の大変さも

人生の豊かさのエッセンスなのだと

しみじみと感じる今日この頃です。

 

+++

 

【魂の羅針盤】否定がないから

否定すら〇!

 

理想を目指して

そこに向かっていくのも

素晴らしい。

 

それと同じ様に

理想を特に目指さなくても

今この自分を有難く

生きていくことも素晴らしい。

 

もっと言うと

今この自分を有難く

生きていられなかったとしても

同じように素晴らしい。

 

・・・ということを

伝え書いているわけですが

 

そうすると

既にカタチを為している方々の

中には良かれと思って

 

「それはおかしいんじゃないか」

「ちょっとズレてるよね」

「上手くいってるなら形も反映

されるはず」

 

とか指摘されたりもします。

 

それに若干イラっとか

ズキっとしたりもしたのですが

 

あ、それもありだね!

その指摘を採用してるわけではない。

だけど、そう思うのもありだよね

と思えているのです。

 

結局自分の内側に立ち戻ると

一見否定に感じるものも

否定ではないのです。

 

 

最初はこう思いました。

 

理想(これが正解)を〇と

するから理想じゃないもの

(思惑通りじゃないものや

結果が見えてないものを)

 

そうじゃない=Not〇

というんじゃないかって。

 

それって

✖といってなくても

それはNot 〇だから

✖と言ってるのと同じで

 

それは全方位〇!ではない

ってことだよね・・・

 

なんかそれって心地よくないなあ

・・・最初はそう思ったわけです。

 

結局それ、対極の世界の〇×

やってるから否定じゃん!

ってね。

 

 

だけど、一回りして

やっぱりそれでいいって

思えてきたんです。

 

〇×対極の世界をおかしい!

といったら

それも対極の世界という

パラドックス。

 

人それぞれ捉えや好みはあって

好ましい、好ましくないはあっても

どれも〇、どれもあってよいのです。

それでありなのです。

 

どうせなら上手くいった方が

いいじゃないの・・・

というのもその通りですが

 

何をもって上手くいってると

捉えるのか、その視点が違うだけで

例えそうは見えなくても

遠回りに見えても一見無駄に見えても

 

どこまでいっても

それは上手くいってるのでしかないのです。

 

やっぱりどこまでいっても

〇でしかない全方位が〇!に

立ち戻ってくる。ニコ

 

 

理想や思い通りの姿をもって

〇とするのもあり。

 

全方位が〇!という世界も

〇なら

そうでないのも〇で

 

どこまでいっても

どっちであっても

結局〇でしかない

 

という結論に至るのです。

 

要するに

否定がないのです。

 

もちろん

感情的には嫌なものは

・・・嫌です。

 

苦手なものは苦手です。

欲しくないものは欲しくありません。

 

ですが、無理に抑圧して

思い込んでいるのでもなく

 

欲しくないものも

それはあってよいもので

悪いものではない

という視点で見る限り

 

すべては受容のもとにしか

ないのです。

 

どんな意見も

どんなスタンスも

どんな反応も言動も

それはありえるし

あってよいもので

 

好む好まないはあるものの

すべてはそのように

あるのものなのだと

いう境地に至る。

 

常に起きるべくしか

起きていない。

 

これは仏教でいう

「自力」というものを

消し去ることでもあって

 

全ての物事は

実は何一つ自分が為してる

ことはなく「他力」である

 

全体の連動性に突き動かされて

展開しているだけ

ということが腑に落ち始めると

 

実にしっくりくるものです。

 

一見、自分の自由意志を

否定してるかごとくにも

感じられるかもしれません。

 

 

だけど

すべてはそうなるしかなかったし

 

相手もそう反応するしか

あり得なかったし

そういう結果以外は起こりようも

なかった

 

という委ねに至ると

 

まったくもって

ご都合的に期待することも

なくなりますし

 

(もちろんそうしてしまう

ことも含み入れてますし)

 

他人の言動あれこれのみならず

自分の言動あれこれに対しても

面白いように気に成らなくなって

くるものですね。

 

これは無視でも無関心でもなく

その逆。

 

全てのものへの

尊重と敬意の

もとにあるもの。

 

放ち放たれるもの

その全てが根源的には

尊いものなのだという信頼です。

 

だってそう仕向けているのは

すべては大元ですから。

 

 

一見他責なように見えて

他力(大元の連動)を

信頼しているということです。

 

こうやって外のアレコレに

気が取られないようになってくると

自分のことに意識が集中し始めてきます。

 

全方位が〇!の感覚に

意識を向け

この感覚を感じまくる。

 

俺はここを土台に

やっていきますよ。

 

みなそれぞれでよい。

それぞれのスタンスへの

尊重のもとにあればよい。

(もちろんそうでなくても〇)

 

+++

 

もっと気軽に

話ができる場を

用意していきますので

 

面白そうと思う方は

おまちくださいね。

 

ではでは。

 

花見の時期は

あっという間だったなあ。

 

それも善し。