【REAL-ME!】理想すらぶん投げる!

 

みなさま

あけまして

おめでとうございます。

 

年始の震災は

地元石川の出来事。

 

能登は両親の

ふるさとでもあり

小さいころから

よく遊びにいった

なじみある場です。

 

数日はその悲惨な光景に

気持ちがもっていかれ

なんともいたたまれず

におりました。

 

支援が行き届かない

状況にも

もっとなんとか

ならんのか!

 

とか

万博なんてやってる場合

じゃないだろ!

必要なところに回せ!

 

という肚ただしさや

やるせなさ、

憤りがつのったり

 

寒かろう辛かろう・・・

という案じであったり

 

という中では

ありましたが

やはり最後は

 

全方位が〇!

 

という意識に

自分自身戻ってきた

のであります。

 

 

この話は

誤解勘違いが生じる

かもしれないので

とてもセンシティブ

かと思いますので

 

言葉に反応するではなく

その奥にあるものを

感じ取ってもらえれば

さいわいです。

 

本当に被災合われた

方々に少しでも平穏の

光が灯りますように。

(祈り)

***

 

そもそも

被災に会われた方々

今も大変な思いを

されている方々に

 

とても〇なんて

言えないと想います。

 

そんなのとても

言えない。

言うべきでもない。

 

ましてや

自分は当事者でもない。

 

第一、

自分が当のその場、

その状況にあっても

本当にそう言えるのか・・・

 

というと

そうでない以上

それもわからない。

 

感情的には

〇と思えない自分もいる。

 

ですから

「全方位が〇!」

という言葉も

 

人の置かれた状況や

心情を無視して

その言葉をかぶせるもの

ではないと思うのです。

 

・・・という

前置きをさせて頂いた

上で

書き進めていきますが

 

自分の意識を広げて

いって

自分というものを

包み込んでいくなかで

 

 

少なくとも

自分という視界から

みた世界や人生において

やはりあるのは

 

大いなる信頼のもとに

全方位が〇!

 

いうものにやはり

立ち返ってくるのです。

 

 

自分は何があったって

大丈夫。

人も何があったって

大丈夫。

 

全方位が〇だから

 

という信頼であり

意識への同化であり

ここが基盤となり

過ごす日々となる

ということ。

 

 これは

外側の起こっている

ことや

現況に関係なく

自分が勝手にそうだと

決めうるもの。


少なくとも

今自分は

いつもどおりの日常が

目の前にあり

 

その日常を

どう捉えるかは

完全に自分の手に

委ねられているのです。

 

そして

つい理想と比べて

できてない、

そうでない、

思い描いてたのと違う

 

などなど

思い煩ったり

不安になったり

やきもきしたり

したりもする

自分がいるのですが

 

それも

人間の営みとして

受け容れているし

それも含めての自分だから

×にはしていないのです。

 

なので

 

自分が理想通り
生きていようが、
理想通りでなかろうが、
どっちだって良い!!


という感覚のところに

今きているかんじです。

 

そもそも
理想通りが良くて、
 

理想通りじゃないのが

悪いとか、

良くないとか

ってその基準が

そもそもなんでなのか。
それほんと?

それどういう
基準だよ!?


理想通りの状況か
思惑通りか
そうでないかとか、
今何パーセントぐらいとか


もちろんそれも
一つの角度としては
ありだけど

目的地はどこで
理想形はこうで

今どこだから

こうだどうだとか

そういう外の景色を基準に
捉えていくのを
辞めてもよいのかもよ

って思えてきたという

話です。


理想通りであろうが、
なかろうが、
それに関係なく

善し!

 


思惑通りの
結果や反応だろうが、
なかろうが、

善し!


これ

ポジティブ思考では

ありません。


俺は(私は)全方位〇!
よって
これをもって
私は善しという

認識と同調している

のです。


内側基点にする。

外ではなく内に

意識を据える。

 

 

意識の

向け所の話です。

 

 

そして

もちろん人間には

成長したい欲求や

理想通りにしたい欲求

がギフトとして

あるわけですから

 

理想を目指すのではないが

理想も目指してよいし

思い描くものも描けばよい。

 

それもそれで

有難く発動させていけば

よいのです。

 

意識が〇ならば

あとのカタチはどうで

あったってよいんです。

 

それをしても

しなくても

するしないどっち!

とか

どっちでももよい!

 

 

そんな話ではなく

どうであったって

 

俺たちは

内側の〇に

意識を向けてよかったんだ・・・

 

 

という

覚悟というか覚醒というか

 

 

まあそんな

感覚のものです。

 

 

こういう感覚に

ビビびっと来る方だけ

 

反応してくれればいいんだな

 

っていう

2024になりそうです。

 

 

今年もまた

みなさまに平穏と

更なる発展を!