【REAL-ME!】エゴを仲間に引き連れていく。

 

こんにちは。

師走に入りましたね。

 

昨日は

子供の七五三でした。

 

上が7歳、

下の双子が

数えで7歳の

変則バージョンですが。

 

12月に入って

寒くなって

空いてるときが

我が家にとっては

ちょうどよい。

 

まじ大変なんで💦

 

***

ここ2年かけて

模索してきたことが

やっぱりそうだったのか

 

とやっとやっと

つかめてきた感じです。

 

といいつつ

この分かったつもりを

ひたすら繰り返してる

気もしますが

 

自分の内側との一致感が

体感として募ってきたので

何篇かにわけてつづって

いきますね。

 

***

【REAL-ME!】エゴを仲間に引き連れていく。

 

出口のないトンネルを

歩いているような中、

 

疑念と同時に

確信が重なってきてます。

 

雑念を握りしめている

のが自分なら、

 

そこから確信に意識を

向けていけるのも自分。

 

 

やらなきゃじゃなくて、

やりたくて

やろうとしている自分。

 

 

そこに計算は立たない

かもしれぬ。

 

じゃ、どうする?

やめる?

展望もてるまで

まつ?

 

いや、

立たなくともやる。

やろうとしてる。

 

そこじゃない。

形じゃない。

 

見通しも根拠も

後ろ盾もない。

 

それでもやろうとしてる。

やり続けている。

 

お金にならないから

やらないのではなく、

 

評価されないから

意味がないのでもない。

 

お金にならなくても

評価されずとも、

 

自分のために

やっていることなのだ。

 

だから

相手からの勝手な期待に

応えようともしていない。

 

相手がどう捉え

評価しようが

それは相手の自由だと

尊重している。

 

 

他人のニーズに

応えるためではなく、

 

自分のニーズ

「○○したい!」

に応えていく。

 

自分の内側に

応えるためにやっている。

 

 

相手は相手、自分は自分。

 

繋がってはいるけど

それぞれ別々のもの。

 

よって

 

相手のフィードバックや

評価(対価)

自分の価値を

結び付けてはいないのです。

 

 

それはあくまで

貴重な意見や目安であって、

それ自体に本義はない。

単なるきっかけ。

 

それぞれへの尊重。

 

自分へも相手へも

最大限の尊重を示すもの。

 

相手への尊重と敬意。

 

そう捉えること、

振舞うこと、

期待してくることに

対しての尊重。

 

 

そのうえで、

自分を最大限尊重する

ことに向かうのです。

 

当然相手の期待に

応えてもよい。

 

それは自分が期待に

応えたいからやること。

 

起点は自分。

 

自分がそうしたいから

という、

自分の期待に応えるため。

 

 

それは結果に対しても同じ。

 

目の前に

突き付けられる現実も、

都合よくは起きてくれない。

 

起きてくることへの

尊重。

 

 

あくまで

全体の連動性の中で、

起こるべく起こるものが

起きているだけのこと。

 

 

こちらの期待や

目論見とは関係なく、

全く別の理でもって

なされるものだと

受け容れてる。

 

だが、

 

実際意図に

反したことが起きれば

揺さぶられもする。

 

疑念や雑念、執着も

湧いてくる。

 

 

それも自然なこと。

起こってもよいこと。

 

 

思い通りにならないことに

抵抗しようとする自分も、

またそこにいるのです。

 

 

そんな時は、

 

そんな自分も否定せず

「その一面も自分だ」

と己に含み入れていく。

 

 

都合よく思い通りに

事を運ぼうとする自分、

固執し執着してる自分

をも迎え入れていく。

 

 

それは

切り離し捨てる

ものじゃない。

 

エゴは

取り除くものでも

嫌うものでもない。

 

 

それも自分の

一面一部であるもの。

 

 

都度起こるエゴも

立派な己の一部、

大事な己の一面なのです。

 

 

エゴ万歳!

それも己。

 

思い通りにいかぬ

己も万歳なのです。

 

 

エゴを切り離さず

引き連れていくとき

フラットになる。

 

さすれば

 

全方位が道。

全方位が己。

 

エゴを仲間に

引き連れていく。