【REAL-ME!】本当のポジティブは、うまく行かないが当たり前!

こんにちは。
夏みたいに暑くなったかと
思えば急に冬の冷え込みと
目まぐるしいですね(笑)

最近のちょっとした
嬉しいことですが

自閉症ちゃんの次女(6歳)
が一緒にお風呂に入ってるとき
とつじょパパをみて

「ダアイ・スキン。」
と声を発しました。

自閉症の次女は
コミュニケーションが苦手。
ほとんどしゃべりません。

欲しいものは単語で
「アイス」とか「テレビ」とか
ぐらい言いますが

感情を伝えることは
ないのです。

できないというよりは
する気がないのです。

それが突如発せられた
「ダアイ・スキン。」

??今、大好きといった?
これはパパを大好き!
と言ったのか!!

嬉しい衝撃が走る笑い泣きラブラブ

お風呂の外で
着替えをもってきた
ママもそれを聞いたのですが

「いま、大好きって
言ったよね!?」

と興奮しながら伝えると

「いや、ダスキンでしょ」
ダスキンっていったのよ
とバッサリ💦

大好きとダスキンじゃ
えらい差ですが

ま、大好きといったことに
しておきましょ。

初めて出てきた感情の
言葉記念日。

+++
さて本題です。

【REAL-ME!】

本当のポジティブは、

うまく行かないが当たり前!

僕たちはネガティブよりは
ポジティブな言葉が好き。

だから引き寄せの法則とか
僕らは皆創造主、という
言葉に惹かれ乗っちゃう。


まあ、それもそれで
ありで真実ですし
 

せんちょーもそういう真理を
探究している人間ですから
本質はそこなのだと
捉え信じているわけですが

だけどこういう言葉を

体験から語る側の人と

その言葉に惹かれる

側の人には

大きな感覚値の差がある
ように感じるのです。

もちろんせんちょー自身も
含めての話ですよ。

どうもその辺が
肌感覚的につかめ始めてきた
のでつづっていきますが

「失敗は成功のもと」

この言葉がそれを表すのに
最適かと思います。

この言葉を使う人々

例えばエジソンさんや
ケンタッキーの

カーネルサンダースさん
のような偉人と呼ばれる方々は

当たり前のようにそうだと
捉えて使ってます。

ほんとにそれを

「失敗は成功の母」を
地で行ってきた人たちでしょう。
 

そういう

レジェンドでなくとも
起業家とか事業で成果を
上げている人たちは
大なり小なりこの感覚である
のを感じます。

じゃなきゃ

そんだけ行動できないですから。


でも永らくこの言葉を

そうだと思えど、
とてもそうは思えませんでした。

 

「そんなもん、わかっとるわい!

 

でもそう思えんから

苦しいんじゃい!

 

あんたにこの気持ち

わからんじゃろ!!」

 

ってのが心の叫びでした。

 

そういうと

甘い!とか言われるのが

オチですが

 

最近、面白いことに

やっぱりそうよね!

と思えるようになってきた。

 

なんとなく、つかめ始めて

きたのです。

 

そう思える側と

そうでない側とでは

一体なにが違ったのか?

それは前提として

ものごとは
「上手いかなくて当たり前」

と捉えているかどうか

 

でした。

 

それは

もっと踏み込んで言うと

 

自分を信頼してるか、
不信してるか、


でした。

 

行動ありきで

まずやってみればよいと

思えてる人は

 

無意識にであっても

根底には自分を信頼してる

何かがある。

 

(あ、これも段階ですよ

自己不信だらけでも

閉ざして進む方も多数います)

 

※閉ざして閉ざしても

閉ざしきれないぐらい

自己不信が強い人が

ここで立ち止まっっちゃう。

 

 

だから
結果は予想通りにはいかない
ものであることも

受け容れられる。

 

その客観視点をもてている

その段階にはある人ということです。

ある程度の自己肯定感が

ある人だからこそ

上手くいかない現象に立っても

 

「そのために次に何ができるか」
「だったら、今なにができるか」
 

を捉えていく視点に立てている。

結局最後は

そこにたどり着ける自分である

と信じて取り組んでいる。

 

 

ところが
自己否定感、不信感が強く

無意識レベルで染みこんできた

側の人は

 

上手くいかない自分、という

シチュエーションに耐え切れないのです。

 

だから目を背ける。

そうでありつつも

なんとか払拭したいもんだから


「やればできる!せばなる!」
とか

「我々は創造主」
とか
「引き寄せは周波数」
とか

こういう側面にばかり
囚われていくのだと

気づいたのです。

あ、これ

ダメだしではないですよ。

愛ある見守りのまなざしニヤリ

 


上手くいく人は
ポジティブな面をみてる人

と言われますが


これは嘘ではないですが
それは一面。

その奥を観ていくと
上手くいかないことも含みいれ
それは当然だと受け容れいている。

ちゃんと捉えているからこそ
じゃ、あの手この手で
やってみたら何かが見えてくる。

だから

ポジティブを観ているけど
しっかりネガティブも見ている。



ま、それをネガティブという
解釈ではみてないのだろうから

そういう意味では

やっぱりポジティブなんですが(笑)

逆を言えば
ネガティブを観ずに
ポジティブだけを観ようと

するのは

本質から目を逸らしている

ということ。

よいとこどりの様相では

主体性に立てない。
 

そんなご都合主義でいると

良いことだけ見せてくる
なんたらメソッドの
なんたらマーケティングとか

体の善い文句に踊らされ
巻かれていってしまうのでしょうね。

あ、これ過去の
せんちょーですから💦

ですが、今振り返ると
なんたらメソッドそのものは
間違いではないと思えます。

それをやってる人たちから

したら、

それが形になっていったもの

ですから、それは尊重で

敬意示すものです。

単に

そこに拠っかかった

自分がいただけ。

 

 

大事なのは

根底の大前提。

自分に対する

信頼。


そこ。

でも
自己否定や自己不信が
強い間は痛いものは

とても直視できない。

 

そういう段階って

ポジティブなものに
拠っかかってしまいたく

なってしまう。

それも仕方ない。
あるある。

 

だからこそ
ポジティブに向きたくなって

甘い言葉やきれいなものに
つい乗っかってしまいがち。


根底が否定や不信だらけだと

そこに耐え切れない。

さらに疼き不信感を強めてしまう

 

ということだけど、やっぱり
これもこれで必要なステップ。
通る道。

 

と、

一見NGに見える道も

必要な道だっと思えてくるのです。

 

自分を信頼できてきている

証拠。

 

こうやって
今ようやくつかめ始めてきたのです。


自分の負の側面を
肚をくくって覚悟できて

初めてみえてくる。

 

それができてないうちは
上手くいかない自分を
とてもや直視なんぞできやしない。

そこに至ってすべてを
受け容れられるように

なってくると見えてくる。
 

自分ですべてを真っすぐみる
起ることを受け容れる。

自分にも、自分以外のものにも
尊重と敬意を示す。


この心地が生まれ始めてくると
ようやく
「物事は上手くいかなくて当たり前」

この言葉が
すんなり入ってくるのです。


そりゃそうだ。
自分の都合よく
思ったとおりになることはない。

だけどそれを受けれいて
じゃ、どうしていこうかって考える。

フラットに捉えられると

不思議とそう思えてくる。

 


その時の考えるは
不安や焦りから

起こるものではなく

もっとシンプルにすっと

立ってでてくる。

でもやっぱり出てこない

とか繰り返し
突き詰めていくと

ふと囚われから外れ
根源的なところ
初歩の基本のところに
いたるのだって

 

内側が囁いてくれてます。

そういうときに
必要なものに出くわす。


すべてを受け容れる

心地この段階に至る。


それがこれからの道。
自分の道。