【REAL-ME!】自分を正さない流れ。

 

猛暑っすね。

 

かといって週末家にいるのは

それはそれで大変なので

やっぱり子供連れて

お出かけになります。

 

先週末は、

川遊びできる公園へ。

 

福岡はいいですね。

車で下道1時間もせずに

立派な川遊び公園についてしまう!

 

子供が流されないように

必死に追いかけまわして

ぐったりですが、自然はここちよい。

 

野性味あるほうが

人は元気になるのでしょうか!?

 

***

 

さて、

現状を直視することが

スタートである

 

と、前回伝えたと思いますが

 

そこをもうちょっと深堀り

していきますよ。

 

 

通常、人は事実をまっすぐ

観ようとはしません。

 

自分の都合よくしか見てないし

視たくない部分は見ないでいるから

そのままを見てることはほぼ

ないと思います。

 

そうやって

本来のあるべきところから

ズレたことをやっていると

それが病気やトラブルというカタチで

おこってくる。

 

それでも見て見ぬふりをして

軌道修正を図らずにいると

それは目に見える何かの形で

ストップが入る。

 

大なり小なり

人生はその繰り返しです。

 

 

その程度によりますが

来るところまできて

やっと人は目隠しを取り外し

ものごとを直視しはじめる。

 

 

そしてようやく

自分の虚飾虚栄、

臭いものへの蓋などに

気づき始め、

 

「これではいけない。

こんな自分じゃダメだ!

俺は今まで何をやっていたんだ。

もう目をさまそう。」

 

と肚をくくり

身を正して生きていくことを

決断する。

 

今までの自分を振り返り

身を正し、全うに生きるべく

出直していく。

 

その時、人生が変わっていく。

 

そうやって苦難を福門として

人生の転機を迎えるわけですが

 

ある意味、人は変わりたくない

生き物でもあるので、

直視したくないものを観させるための

苦難でもあるわけです。

 

 

本来あるべき姿でなかった自分が

苦難を通して、あるべき姿にむかって

現状の困難を乗り越えていく。

 

 

これが今まで、地球で主流だった

成長物語だったのだと思います。

 

ほとんどの成功法則は

この流れに基づいてます。

 

こうやって何かしらの転機によって

自分を直視することができるように

なっていく起点ですが、

 

これって、結構窮屈だったりも

するのです。すくなくとも

せんちょーには感じてしまうえーん

 

ですが、いま感じているのは

同じ自分を直視する起点でも

違う流れがあるということ。

 

 

 

それは

自分を正さない流れ。

 

※言葉が乱暴なので

丁寧につづっていきますよ。

 

 

苦難によって転機をむかえ

自部を直視するところまでは同じでも、

そこから先が異なる流れ。

 

正さない、とは

非を認めないということではあらず。

 

 

自分を直視した際に、

良いも悪いもそのままに

これが俺だと認め入れる。

 

 

己そのものに

観念すること。

 

 

 

前者が


至らぬ自分に気づき

今までの強がり、言い訳をやめ、

人に恥じぬ真っ当な自分を

表していく様、

 

裸一貫でやりなおし、精魂込めて、

まっすぐに向かっていく美しさ

 

だとすれば

 

後者は

 

世間で言うダメなところも

これも自分だと腹をくくり観念し、

疼きも含め、そのものを認め入れ、

 

真っ当に生き直す方にではなく

そのリスクや批判も認め入れて、

 

「どこまでも、

さらなる俺、己を

拡張させていく!」

 

清濁含みいれる、諦めの潔さ

なのだと思います。

 

 

どっちにしても

現状の自分を直視して

肚をくくるのは同じです。

 

 

負の自分を正し

苦難乗り越えて成長していく

面白さなのか、

 

それとも

 

素の自分に観念し、認め入れ、

どこまでもこの己と共にあり

己という素を発揮、拡張させていく

正負まみれる醍醐味なのか

 

 

どちらも痺れる生き方、

どっちも好きな生き方。

 

 

そしてせんちょーは後者であり

この現世にまみれることを決めました。

 

己をとことん直視し

認め入れ、己に開き直って

生きていく側で行く。

 

 

まあ、こういう前者後者で

分ける必要もないのでしょうが

 

せんちょーにとっては

苦難乗り越え型がいまひとつ

ピンとこなくて乗れなかったのと

 

成功法則や成功談がどこか

お仕着せがましくてそぐわず💦

 

おなじように

己=素で生きていく人たちが

葛藤してるんだろうな

 

って感じているからで

 

あえて違いを見出したところ、

やっぱりこっちなのだなと

合点がいったのでした。口笛

 

 

そう言っておきながら

まだ踏ん切りがついてないってことは

直視できてない自分がいるってこと💦

 

都合よく観ちゃってる自分に

見たくなくて目隠ししてる自分。

 

 

だからしっかり見る。

観る。まっすぐ観る!

 

 

見たくない自分、みたくない現状も

疼きのもと、しっかり見定める。

 

 

そしたら、そこが極め。

どうやったって、

次に踏み出すしかなくなるのです。

 

そこが起点。

 

ほんと、いま、そこやってる真っ最中だよ。

この8年間、言ってることは変わらない。

 

己であれ、

REAL-ME!

 

それを自分で極めなさい

って、今、ここにきているのです。

 

 

太宰府天満宮の改修工事 屋根に木々緑