【REAL-ME!】苦難乗り越えから、今善しで更に善しへ!

 

先週金曜から

うちの愛娘がまたお熱

昨日も別娘お熱。

 

いい加減にしてくれよ、、、

とうんざり中の

せんちょーですが

 

これを問題とするなら

解決するしかないのですが

 

もはや問題ではなく

受け容れていくのみ

 

これで何も問題ないなら

やっぱり問題ないということ

ですね。

 

 

当然

イライラすることも

自分に許容しているので

イライラも問題ではありません。

 

 

まあ、今日のお題にも

通ずることかもしれませんが、

 

 

もはや時代は

苦難を乗り越えて成長していく型の

ストーリーから外れ始めたな

という実感があります。

 

 

あ、もちろん

その流れのストーリーも

まだ継続してますし

あってもよいものですし

どっちの流れも併存しています。

 

 

ただ今までと違うのは

どっちの流れに乗るかを

自分で選べる流れになっている

ってことでしょうか。

 

 

 

以前おせわになっていた

コミュニティでは

 

苦難福門という言葉を

教わりました。

 

苦難は、苦に在らず

福門を開くありがたい

きっかけですよ

 

という教えです。

 

 

それはその通りだと

思うのですが

 

 

今のせんちょーは

そこにも同調しないのです。

 

 

なぜかといいますと

 

それは苦を乗り越え

成りたい自分になっていく

幸せな自分になっていく

 

という方向性のストーリー

だからです。

 

 

もちろん良い悪いではありません。

単なる好みですが

 

 

どうしてもその苦難福門の

ストーリーを聞くたびに

せんちょーは自分なりの違和感を

感じ始めるようになっていました。

 

 

これ、あくまでも自分の感覚

ですから、人ぞれぞの感覚に

沿えばよいものですよ。

という上で書いていきますが

 

 

苦難乗り越え型のお話は

今までのマーケティング的な要素とも

同じなんですが

 

 

結局

今××な誰誰が

なんとかかんとかなって

幸せな○○になりますよ、なれますよ

 

っていう図式は変わらないからです。

 

苦に感謝しよう

といっても

 

その時はNGな自分が

乗り越えたらGoodになれますよ

そうなってますよ


って感じで


感謝はしてるものの

やっぱりそのときはNGなになに

というトーンに感じてしまうのです。

 

 

せんちょーが示すものは

もうそこではないのです。

 

 

今××だろうが

それが俺だよ

それがあなただよ

 

 

それをもって

俺で、あなたで、なんとかで

 

それはそれでありなんだ。

それはそれで善しなんだ。

それでもGoodなんだよ。ってね。

 

 

で、

そのうえで

 

その善しは

もっと自分好みの

善しにもなっていける。

 

 

どうであっても善しだから

どこであっても善しなので

 

基点、起点は

今が善し。己万歳!

 

 

そのうえで

本来の我々に備わっている

もっと良くなりたい

もっと楽しみたい

もっと開いていきたい

 

という本質的な

欲求に乗っていく。

 

 

この流れで生きていくなら

自分以外の世界とは比較がないのです。

 

自分自身にも比較がないのです。

 

 

要するにレッテルはりがないのです。

 

 

 

どんな自分であろうが

 

「これが俺ですが、

それがどうかしましたか?」

 

 

っていうスタンスです。

 

これは

自分さえよければ

他人や社会がどうなってもよい

 

ってことにはなりません。

 

 

自分を本当に大切にできるなら

他人や社会もおなじように

ひとつである大切なものである

 

この感覚のもとにあるからです。

 

 

ですが

他人のために生きる自分では

間違いなくなっていく方向です。

 

 

他人のためにいきない自分ですが

自分の喜びは、

他人や社会と共にあるもの

 

自分の喜びは、自分一人では成しえず

誰かがいて起こっていくもの

 

この感覚と共にあるので

 

結果的に、

一人で楽しむものがあったとしても

それは常に一人ではないのです。

 

 

まあ、ひらたく

駄目な自分も、醜い自分も、

みじめな自分も

いつでもスタートの起点なので

 

どこからでもフラットにスタートだし

自分常に満点からの

スタートなんですね。

 

 

 

っていってもセンチョー自身、

この概念はなんとなく

理解していたつもりですが

 

あまりにも

今までの規制概念が強すぎて

そう思えど思い切れず

この自ら縛る鎖はほどけませんでした。

 

ですからおなじように、


そうは思えど思い切れずな人たちが、

やっぱりそれもありかも!


と、そう思えるきっかけになれれば

それ幸いなのであります。

 

 

いやあ、

何回も同じようなネタをぐるぐる

回しながら、

少しずつ純度が高まっているのだと

おもいます。

 

 

といいつつ

まだまだなせんちょーなので

このまだまだ感が善しなのだと

 

 

この今日の自分で始められることを

着手したいと思います。

 

 

苦難乗り越えは

俺はもう要らん。

(あってもよいけどね)

 

いつだって

善しだから。