【REAL-ME!】エゴって、ただの作用、機能のことだった!

 

先週、

ようやく娘が入学式を迎え

今週、やっと給食がはじまり

お弁当づくりも一息ニコ

 

今思うと

うちの母ちゃんも働きながら

中学、高校とお弁当つくって

くれてたの想い出した。

 

なんで前の日の残り入れるんだよ、、

って思ったりしてたけど

ほんとよく作ってくれてたなあ、、

 

「毎日大変ななか、ありがとうでした!」

って心の中で思う。晴れ

 

 

そんな中ですが

せんちょーも、そろそろ

卒業のときにきています。

 

 

卒業といっても

この仕事を辞めるのではなく💦

 

今まで慣れ親しんできた

二極分離の世界、

欠乏有限ゆえに楽しめてきた

時代の生き方を、卒業

 

ということです。

 

そこを卒業することは

とっくに決めていたのですが

なかなかその時が来たと

思えず、動き出せず

 

いつなんだ、、と思いながら

過ごしてきたこの2年ぐらいですが

ようやくその時が来たようです。

 

意識が

新しいこれからの世界

制約や約圧の必要ない

新時代に同調してきたのを

感じるからです。

 

 

そんな中で

同調し始めている感覚を

つづっていきますね。

 

とりとめないので、

何回かに分けて書いていきますよ。

 

オチはありませんので

あしからずぶーラブラブ

+++

 

前時代から卒業。

新時代、新世界へ突入!

 

 

いままで

ぼくらがいた世界って

自分がいて、他人がいて

 

世界が過去から続いて

今があり未来があるって世界で

 

その世界は物質でできていて

有限で限りがあり

そのある限られた資源や何かを

獲得して保持し増やしていこうとする

方向性の世界で

 

そこは勝者がいれば

敗者がでてくる世界。

 

ってことだけど

 

新たな捉えの時代って

一つの無限なる世界だから

まったく捉えるものが変わってくる。

 

誰のものでもないけど

無限に広がる豊かさを

必要に応じて、必要な人が

享受していける世界。

 

いっけんバカげた話だけど

これは決して夢物語ではないのよ。

 

きっと現実的に目に見えるものを

基軸に生きていく世界においては

そうなのだと思いますが

 

本来の自分を想い出した世界では

これは不思議でもなんでもない

そりゃそうだったわ!なのよ。

 

で、

この感覚と同調してきてる。

 

まだまだ揺さぶりはありますが

それでも明らかに確信の度合い、

感覚が違うのです。

 

ということで

 

この新しい世界

新時代に向かうぞ!

 

と決めて

その世界にチューニングしていくに

あたってですが

 

必ずエゴの抵抗が

起きてきます。

 

せんちょーも

いま、それが起きてます。

ぼぼぼんと起きました。

 

しばし揺さぶられ

体調も崩しかけたのですが

 

これは兆しでした。

 

 

エゴの抵抗は

は必然必須の理で、

単なるStep.

 

単なるゲートだと

見えてきたし思えてきた。

 

それが起きてくるような

世界設計になっていたのが

前時代だから、そらそうよね。

 

そこで大事な役目をはたして

いたのが、このエゴだもの。

 

エゴの抵抗って

本当の自分を生きていく

通過儀礼です。

 

エゴって

大きなブロックとか

邪魔ものとか

そんなんじゃないです。

 

 

エゴとは単なる特性。

役目。

 

作用であり機能。

力、方向性(ベクトル)。

 

 

二極世界における

この特性により

 

一つである大元(源)より

分離している自分が居る

という勘違いした

錯覚状態においての

自我意識、自己意識のもとに

あるもので

 

この分離した意識状態を

保ち続けさせるために

自分自身を抑制抑圧させていく

作用、力、流れのこと。

 

 

要するに

この分離の二極世界に

留めさせる役目であり機能です。

 

人格ではなく

ただの作用、機能で役目。

解放と逆に向かう方向性という

特性です。

 

 

前時代である二極世界が

有限であるという設定に基づき、

 

失う、減る、なくなる世界にあって

人は(自分は)不十分で至らぬ存在で

 

その欠けている部分や足りないものを

何かによって補っていく

新たに勝ち取っていく

 

というシステムにのっとって

生存し生き延びていくことが

第一目的でした。

 

ではありますが

これは

前時代の流れ、特性であって

流行り。

 

真理ということではないのね。

真理の一つの側面ではありますがね。

 

自分と自分以外が存在する

という分離の世界なので

 

どうしても

他と比較する、他と競争うして取り合う

他に勝つ、勝るといった側面や

 

もちろん他と助け合って協力するとか

愛し合うとか、

 

なんにせよ、

自分以外の他、というものと

○○することが、必要な時代でした。

 

 

あ、新時代も

自分以外の人はいますから

そういう意味では同じように

他の人と○○する、は出てきますが

 

 

根本のところで

自分も他も一つであり

同じ価値で在り

良し悪しもなく、

同じものである

 

同じ様に尊いものであり

正したり罰したりされるものではない

 

という本来の感覚のもとに

存在する世界ですから

 

自分以外の他ともかわらず

あれこれは起きてきますが

 

ものの視点、見方、

捉えがまったく違う

っていうことです。

 

エゴに話を戻しますが

エゴって、悪者でも

偽の自分でもないですよ。

 

ただの方向性です。

作用であり、力であり

ベクトルのこと。

 

それを

感覚として

自分に伝えてくる

役目なだけです。

 

 

前時代は

抑圧抑制の作用(力)を司る役目

=エゴが大きく働く時代でした。

 

エゴは

別の側面から見ると

二極三次元世界における

物理的命をもったこの私(わたしたち)

の生命を維持する為に

 

変化を起こさせないように

有限の世界からはみ出てしまわないように

 

自分の可能性を制限し

制約や限界の枠を設けて縛り付け

閉じ込めてしまう作用であり

 

そこから出ていかないようにする

抑圧してくる力(ベクトル)でした。

 

うっかり希望に目覚めて

動き出していかないように

働いてきたおかげで

 

前時代の二極世界を

生命維持し、生活してこれた、

発展してこれた

ということでありますし

 

至らない自分が

獲得したり乗り越えて

欲しいものを得ていく

 

という面白味も

この時代だからこそ

堪能できたものでした。

 

魂的にも

その中でこそ味わえた

葛藤もろもろは

大いなるレジャーであったことは

間違いないことですが

 

そんな中だからこそ

 

抑圧抑制の力によって生じる

感覚が

本来の自分の可能性を

否定し、抑制し、

抑え込んできたのでもありました。

 

それが

自分の内に湧き上がってくる

ネガティブな感覚です。

 

エゴの声とはこのことで

 

「できない

無理、不可能、

やるだけ無駄

どうせ俺なんかやったって

うまくいくはずない」

 

「そんなの非効率、

お金にならないし

それじゃ食っていけない

養っていけない」

 

「そんなんじゃ

世間的にも認められないし

評価もされないぞ」

 

「自分勝手はいけないし

そんなことしては申し訳ない

人の迷惑、家族の迷惑

○○の恥」

 

おい、しっかりしろ!

人や他を顧みない

ろくでなし、人でなし!」

 

っていうような

自分を抑圧し、

可能性と自由を

抑圧制限してくる

感覚。

 

この感覚が強くでてくる

からこそ

全うに世間から外れず

生きていける大事な感覚で

 

前時代においては

大事な基軸だったのですが

 

同時にその自我の声に

苦しんできた人も

多いのではないでしょうか?

 

 

せんちょーは

相当苦しみましたぞー!!

エゴさん、大活躍でした。

 

 

でも

エゴは前時代の特性であると

気づいてから、その声は

なにも怖くなくなりました。

 

 

抑圧抑制の作用、機能。

方向性であり、力。

 

ただそれだけのことだった。

 

 

 

つづく。