【REAL-ME!】受容の螺旋

 

 

二元論で決めつけない。

 

良い悪いで分けて

決めつけないでいてあげる。

 

優劣で分けて

どっちが上か下かで

決めつけないでいてあげる。

 

正解、間違いで分けて

決めつけないでいてあげる。

 

 

これ、他人に対してもそうですが

なによりも、まず自分に対してです。

 

他人に貼っているレッテルは、

結局、自分自身に対しても

貼っているもの。

 

他人を赦そう、寛容に

見てあげようと思っても

 

自分のことを赦せない人は

なかなか根っこでは

人のことを許せないのでは、

と感じるのです。

 

許そうと意識すればするほど

実は根っこで、抑え込む。

無理やり感がある。

 

もしかしたら

他人のことは許せても

自分のことは許せない

そういうことのなかもしれないね。

 

受容、ということに

今、徹底的に意識している

せんちょーですが

 

どれだけ他人の目を気にしながら

生きてきたのかをも

直視して感じ取ってますよ。

 

 

どこまでいっても

消しきれずにきたこの恐れは

自分のことを否定してきたから。

 

その痛々しさに気づかれます💦

 

自分という存在を

 

ダメな奴、困ったやつ、できない奴、

場違いな奴、問題起こすやつ、

無能な奴で口だけのやつ、

人から笑われて軽く扱われるやつ、

分かってもらえない孤独な奴、

勘違い野郎で独りよがりなやつetc.

 

まあ、そんな風に追い込んで、

思い込んできたわけですよ。

 

根っこの奥の方ですけどね。

 

これが自分を縛り付けていた。

 

そういう自分の世界を

自分の意識で作り上げていた。

 

 

で、

その根っこのところは

蓋したまま。

 

心のワーク、潜在意識のワークなど

さんざんやってきたので

自分のそんな側面にはもちろん

気づいていましたよ。

 

受け入れる、認める、

さらけ出すってことも

当然やってきた。

 

うん、

 

その時は確かに真剣に

やっているの。

 

だけれども

自分の奥底に重く重く

どどどーんと自分を否定する

意識が横たわっているもんだから

 

一瞬浮かび上がるも

また奥底に沈め直される

そのくり返しだったんだね。

 

で、今

ダメな自分も尊く、愛おしいと

感じられ始めているのです。

 

もちろん、逆振りすることもあるけど

それでも受容していくその過程にあるの。

 

でね、

 

今こうやって

少しずつ根っこが軽くなりながら

感じているのは

 

メソッドでなんとかなる

ってもんじゃなかったのだな

ってこと。

 

あ、もちろん

メソッドで何とかなる人も

たくさんいますけどね。

 

根っこが重い人は

簡単にそうならないような

シナリオ描いているってことですかね。

 

 

それは、大きくいえば

まだ、その時ではなかった

ということに尽きるんですが

 

そんななかでも

この1か月ほどで得られた

大きな気づき、学びから言うならば

 

やっぱり受容なのだと

感じるのです。

 

この受容という言葉にしても

 

受容した風な

思考レベルのものなのか

 

決意までしてるけど

身体が力みまくっている

抑圧反発レベルのものなのか

 

いろんな状態、段階が

あるのだなあ

 

そう感じるんですね。

 

 

だから一言で

受容といっても

いろんな状態、段階があるの。

 

 

色々、揺さぶられながら

ゆっくりえっちらおっちら

螺旋階段を上っていく(下っていく)

※宇宙に上下はないからね。

 

というなかでも

受容を促進してくれている

変化、気づきのきっかけとなったのは

これら。

 

 

・意識という存在(状態)

意識>身体>思考

 

・他人との境界線

 

・慈愛とTHE I

 

・陰陽合一の球体化

 

・ポジ51:ネガ49

 

まだほかにも色々あるけど

この辺がすごく腑に落ちていくのに

役にたちました。

 

 

この辺の概念というか

捉え、せんちょーなりに

またお伝えしていきますね。

 

 

ほんと、どれだけやっても

なぜ俺は(私は)開いていかないんだ。。。

 

そう思っている人たちが

堂々と希望をもって

前を向ける世界を

せんちょーは一緒に築いていきたいのだ。

 

 

今日はここまでボンボヤージュ。