【REAL-ME!】動き出しは、目の前の簡単シンプルから
 
動く動くといって
動かないのは常習で
 
もはや動く動く詐欺の領域まで
来ており、もはやこの執着も手放しか、
 
と数日悶絶していたせんちょーですが
 
嫁さまからは
「目障りだから、見えないところで
見悶えてくれ!」ムキー
と優しく追いやられながら
 
今、ここに爽快クリアな
心持ちでつづっております。
 
 
まあ、毎度のことではありますが
なんの問題でもなかったと
やはりそこに至りまして。
 
色んな角度、視点があるので
理由づけはどうとでもいえますが、
考え出すときりがないですね。
 
なので、考えることもやめました。
なんの問題もありません。
 
 
●大きく言うと
・動き出す時ではなかっただけ。
動こうにも、動かせない力が働いていた。
だから動けなかった(ように見えた)
 
よって、すこぶる順調。
なにも焦ることもないし、しなくてよい!
 
●中で言うと
・エゴキンちゃんに乗っ取られていて
かかし状態になってたから動けなかった。
 
まだエゴキンちゃんちゃんの網目から抜けてなし、
乗っ取られ中の身、それを認めること。
 
迷いの雑念がリアルミーの声ではなく、
エゴキンちゃんの声だと気づけたら

 

後はその声には乗らないこと、スルーして受け取らないで

淡々と客観的に聞いてあげるだけ。
(寄り添ってあげるだけ)
※エゴキンちゃんは共感されると威力を失う
 
・小さく言うと
行動が明確シンプルでなく、
煩雑で重いものになってるから、
心理的に動きづらくなっていただけ。
 
気持ちのところ、大局観はもう十分だから
小さく軽く動けることを始めること。
 
 
でね、ほんと我に返って眺めると
どれを見ても正解だし
どれを見ても筋違いだし
 
どれでもよいし
どれでもよくないのよ。
 
それはその時の
自分の中でしか分からないものだしね。
 
状況状況で異なるもの。
捉えも変わるのよ。
 
 
思うに
もう大局にはこの身を預けているし、
エゴキンちゃんの声にも気づけたから
その都度対処していけばよいだけだし
 
もう、こっちの世界は
十分やってきてるので
 
いよいよ現実的な
行動の世界の方にきたな、
 
って感じなのです。
 
 
以前までは、行動を起こすのが
すごくいやだった。
 
行動という側面から
システマチックに感情無視して
機械的にやるなんていやだった。
 
それはREAL-ME!に反したことだったから。
 
なんとかの法則通り、これさえやっていけばよい
とかいわれても、絶対いやだった。
 
気持ちのりませんし。共感なきやらされ感とか
(やりゃよいんだよ!四の五の言うな的)
まじ最悪だったもんね。
 
うん、それは今でも変わってない。
 
なんだけど、
大きなところで色んな重荷を
おろしていってクリアになってきた
からだろうね
 
 
あとは行動していくだけ
 
 
これがスッとはいってきてる。
 
 
余計なものを抱えなくてよいし
拾わなくてよいし、
捨ててよい
 
その土壌がやっとできてきたんだと思うよ。
ニコ
 
 
もう、
なにかのエネルギーもらったり
抱えたなにかを浄化してもらったり
自分の核を見つけに行ったり
 
っていうのを新たにしなくても
そこは整ってるんだよね。
とっくに。
 
 
後は現実の身体(肉体)を動かして
行動して、この世界にいる人たちと
労働という喜びを味わいなさい
 
っていう感覚がきてるの。
 
 
行動しなくてもそっちは後からついてくる、
と、おろそかに(後回しに)してたけど
抵抗なく受け取れるところに来ましたよ。
 
 
今日、ふと目に留まったメモが
 
できるコツコツを
地道にやっていくこと。
 
小さく軽く始めること。
 
簡単にシンプルで始めること。
 
 
ここね。
 
 
いままでも知っていた言葉、概念
だったけど
ちがったものに見えた。
 
 
こんな当たり前が
なぜできなかったのか、
 
その理由は今なら言える。
 
シンプルにするためには
それ以外を捨てなければいけない。
それができなかったから。
 
 
人の期待にこたえたい
その気持ちがが強くて
全方位で期待にこたえたかったから。
 
あれも可能、これもありえるし
こうやったら、これも考えなきゃ
 
あれもこれもと
思考はとどまるところを知らず
どこまでも終わりがない。
 
良い人でいたい、調和を大事にしたい
嫌われたくない、迷惑にはなりたくない、
そういう想いとも表裏一体だったしね。
 
 
あれもこれもと選択肢や可能性をやたら
増やしたくなる時って、
エゴキンちゃんが用意したトラップだからね。
 
進めないようにするための
あれこれ迷う材料をあてがわれてたってことだから。
 
 
だけど、そういうのもぜんぶ含みいれて
こうやって過程を通ることが必須だった。
 
なんの問題もなかった。
予定どおりの道だった。
 
 
そのおかげで
せんちょーと同じ様に進めずにいる人の
もっと細かい心のヒダにも
他の人には気づけない鎖にも
気づけるようになったと感じてるよ。
 
 
こうやって
小さな小さな一歩を
迷いなく進められるところまで
きたわけですな。
 
 
シンプルにやること。
その目の前をやること。
 
 
セミナーでもセッションでも
イベントでもなく
 
せんちょーと話をする機会を
つくること。
 
まずそれ着手。
その辺
次のブログで書きますが
 
余分なものは足さない。
余分な期待も載せない。
 
なんか今、むちゃ気持ちらくちん。
 
結果じゃなくて
やることに意識が焦点むいてるさ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
絶賛悶絶中の昨日、
嫁さまに叱られながらも
家族と宗像大社にいってきました。
 
そのあとの
宮地嶽神社から続く
砂浜の夕日。
 
雨天だったけど
一瞬の夕晴れ夕日。
 
 
 
ちびんこは砂浜大好き。
危険だから長居無用。
 
宗像大社の
奥宮。
すごい高い磁場だわ。
階段も大好き。
 
 
 
 
 
 
良い気と同調させていただきました。