【REAL-ME!】正も悪もない。自分のyes!かどうかを観る。
 
最近、引き続き
やたらと、なんだこいつ!?
 
と感じる人が頻繁に
登場してくるのは
 
きっと何かあるのだろう、
と観察してたら
 
ふと、収まった。
 
 
せんちょーから観れば
そいつらは、
 
他人に対する配慮
気遣いがない人たち
 
自分のことしか
考えてない振る舞いの
なんだこいつ、な人たちな
訳ですが、
 
そう捉えてる瞬間、
 
自分が正で、
そいつらが悪
という立つ位置からの
視点、図式なんだよね。
 
 
あれ?
俺、いま、世界の中心軸から
ズレてる!
 
そこにふと、思い当たったの。
 
 
世界の中心からみたら、
良いも悪いもない。
 
ただ、そこにあるものが
あるだけ。
 
俺たちは、全てなるもの
 
だったら、
どれもが、俺。
どこにあっても、俺。
 
どれにでもあれるし、
なれる。
 
どこにいっても、あっても
よくて、自由なら
 
自分がyes!
そう感じる方に行けばよい。
 
そうでないところには
行かねばよい。
 
ただ、それだけだった。
 
それを
yes!と感じるかどうかは
その人の内側に答えがある。
 
だったらさ、
 
不快なるものに
あたっても
 
それはそれで、あり!
俺のyes!でないだけ。
 
俺は、それを選ばない。
なぜなら、yes!ではないから。
 
でも
それもあってもよい。
あるのだから。
 
いちいち、自分のYes!でないものに
着目しない。
悪と決めつけ、
わざわざ焦点をあてない(笑)
 
 
俺は、
俺の内側の指し示す
ものを観る。沿う。
 
もう、それだけなのだと
ものすごくシンプルなのだと
原点にたたされた。
 
 
自分からみて、悪!
そう観てるってことは、
 
中心からズレてる、って
ことだ。
 
ズレたところから
見てるから
自分が正で、他が誤、悪になる。
 
そういうときは、
そこに握りしめた
手放していない感情があるって
ことだから
 
そこから生まれた負の感情を
しっかり味わい尽くせばよい。
 
そのシグナルなだけ。
 
 
本来、嫌いなんて
ないんだ。
 
好きのyes!か
 
そうでないかの
二択なんだ。
 
No!というものは、
たんなる方便、代弁なんだ。
 
あなたのYes!は
そこではないよ
 
を教えてくれるもの。
 
Yes!を観てね
ってこと。
どっちでもよいのだから。
 
おもいっきし、
シンプル。
 
俺は、ただ
俺が臨む好き、好ましい
yes!を選んでいってるだけなのだから。
 
 
俺たちの
本来の場所は
中心、中央、中道にある。
 
空であり、
すなわちゼロなんだよ
ボンボヤージュ!