【REAL-ME!】月の時代から、太陽の時代

 

これ、

勝手に名付けました(笑)

 

でも、

なんかしっくりきてましてね。

 

 

月の時代とは

満ち欠けがある世界。

 

 

欠けている存在が

満ちていくことを

目指す方向性。

 

 

一瞬、満ちても

欠けていくのが理(ことわり)

の世界。

 

〇があって

●がある。

 

対比によって

物事が現れ、極まる世界。

 

それが月の世界、

陰陽二極の世界ですね。

 

 

これはこれで

面白いのですが

 

せんちょーは

もうそこは降りたのです。

 

今が

不足、不十分、至っていない

という前提、基点からことを為す

 

この論理で成り立ってるのが

この時代の特徴。

 

足りないから、足して増していく、

補っていく、満たしていく方向性。

 

そういうルートを通って

満ちた世界を目指すもの。

 

理想を目指すもの

安心を求めるもの

 

 

満ち欠けするし、

起点が欠けてるベースだし

満ちても欠けていくという

捉えの世界

 

それが幅を利かせてきた

時代でしたから

苦しみを経て、喜びを得る

 

代償対価な成り立ちのゆえに

味わうことが醍醐味の

月の時代と評しました。

 

昼があり、夜がある

その繰り返しの世界ですから

 

光と闇は対等です。

恐れがあって、成り立つ世界。

 

過去と未来、

自分と自分以外

社会や環境

 

外側における自分を

堪能する世界ね。

 

これはこれで面白い世界なので

あえて望んで挑んで、楽しんできたわけです。

 

こっちはこっちでよし!

 

 

で、もう一方。

 

 

太陽の時代。

 

 

最初から〇

どこまでいっても〇

 

基点(起点)が〇。

 

最初から満ちてる

充足充満の意識。

 

 

この世界は

欠乏感とは無縁、

 

いや、あったとしても

即、元に戻れる捉え、

 

そんな意識のもとにある。

 

だから

夜がきても

それは単なるお休み時間。

 

光の中に

半身を休ませているだけ

必要な休息。

 

つねに光のもとにある

世界。

 

光は内側。

 

 

基軸は常に、

己の内側。

 

 

他人の評価ではなく

自分の内側を基に沿う。

 

 

自分がどうであれ

どんなであれ

その自分を〇として

尊ぶ、いたわる、慈しむ、

そして愛おしむ。

 

 

都合の善きも悪きも

すべてをもってして

この己の受け取るもの

 

そう捉える世界。

 

今が〇だから

どうであっても〇だから

 

 

どこまでいっても

〇の拡大拡張でしかない。

 

 

これ、

勇気いる生き方なんだけどね

 

 

だって、

世間的にみたら

それダメでしょ、

って言われそうなことだって

 

これが自分だ!

とても認めたくないけど

これも自分だよ(´;ω;`)ウゥゥ

 

 

って丸抱えで認めるって

むちゃくちゃしんどいよ。

 

 

でも、

そこ超えると

慈愛のご自愛になじんでくるけどね。

 

 

世間や歴史、科学や両親、

学校や会社、社会がいう

常識やあるべき論

 

 

そういうものに寄らず

だけど独りよがりでもなく

かといって否定排除はしない。

 

 

すべては大いなる一つであり

 

我々はその

ひとつひとつである

同じ一つのもの

 

 

その意識を日々

感じながら、己を表す

 

 

そして

自分という素を施していく

 

 

何かを成したから善しの

世界ではなく

 

何かになって

何かであったら安心できる

誇れるというものではなく

 

 

どうであっても

その過程、この今が充満充足

 

そう捉えて

内なる衝動を動力に

日々を生きる、過ごす。

 

 

こうやって

月の時代から太陽の時代に

切り替えていく、

切り替わっていく時が

 

今、起こってるんだと思うんだ。

 

 

せんちょーは

それをやってるし

やっていく人ですね。

 

絶賛、進行中。

それを試行錯誤で

実践中ですぞ。

 

 

自分の内側では

もう整いましたから

 

ようやくようやくです。

ことを起こします。

 

 

秋は満月

せんちょーは常に太陽。

 

内なる陽、ですが。

 

意識が世界を創っているんだ

ボンボヤージュ!