【REAL-ME!】夜明けは自分が決める!

 

最近ハッと

感じさせられた一文。

 

「夜が明けたから、

日が出るのではない。

 

日が出たから

夜が明けて、

 

天地が明るくなって

万物が眠りから覚め、

活動を始めたのだ。」

 

・・・

これ、なんてことはない

当たり前の概念だけど

 

真理の世界から視たら

こうなるのかとふと

感じさせられた言葉だったの。

 

 

陰陽二極の世界では

たしかに、

光があって闇があるから

昼があれば夜もくるもの。

 

お互いが表裏一体、

そういう図式になるんだけど

 

これだけだと、

見えなくなるものがあるよね。

 

己をあえて「翻弄される側」に

おいた視点だから。

 

でも、本来の俺たちの

視てる世界は

光がベースの世界。

 

光のもとに立つ世界。

 

いつでも光はあるがゆえに

光しかない世界の中に、

闇がある世界は創り出された。

 

 

この

本来の視点に立ってみれば

想い出す。

 

光でしかない世界の

基点で捉えると

 

夜が明けて

日が出るのではなく

 

元々照らされている

日(太陽)の元に戻ってきたら

また照らされた=夜が明けた

 

その捉えになるんだ。

 

 

いつでも光に我々は

照らされている!

 

(明日に備えて

半身を眠らせ休ませながら)

 

これが

大いなる視点。

 

闇とは

光がない状態ではない。

 

光はあるの、いつでも!

 

ただ、闇という休息を

与えてもらっているにすぎないのよ。

 

なんと

らくちんでスムーズな捉えなんだ!

 

そう細胞が感じたよ。口笛

 

 

で、、同時に

しっくりこない部分もあったの。

 

 

いま、せんちょーは

嵐の中を突き進んでいるでしょ!

 

 

絶賛荒波もまれ中で

転覆しないように必死に

バランスとってる最中だと

示唆されていてね。

 

それをふんばって

乗り切ること!

 

をやってる最中なんだけど、

 

この「闇」「嵐」

置き換えてみたところ、

なんだかしっくりこないのね。。

 

比喩としては同じはず。

なのに、何か違う。。

 

 

「嵐が明けたから、

晴天になるのではない。

 

日が出たから

(晴天になったから)

嵐が抜けたのだ。」

 

うーーん、なんか違う。。。

 

 

日が出たから

闇が明ける

 

これは分かる。

 

でも

日が出たから

嵐が明けたわけじゃないよね。

 

嵐が去ったから

日の元に出たんじゃないの?

 

 

うーーーん、、、、、、、

、、、、、、、、、、、、

 

 

ん!✨びっくり

 

そっか!!

そういうことか!!

 

 

わかったよ。

分かった!!

 

 

いや、それでよいんだ!

よかったんだ!!

 

 

日が出たから

嵐が去ったんだよ。

 

 

 

日(太陽)というのは

己の決意、肚落ちだ!

 

 

すべてを己のものと

受容し、決意して

ズドン!と肚に据えたから

闇が終わり、嵐が去っていくんだ。

 

 

ここ、ここなんだよ!!!笑い泣き

 

 

 

己の恐れからくる

一切の身構えを解き放ち

全てを受け容れる覚悟。

 

 

そして、

ただ己が与えられた

定めを尽くさんとする境地。

 

この、

ただ己足らんと

解き放った決意こそが

太陽(日の出)なのよ!

 

 

それこそ、本来の自分。

光そのものの自分だから。

 

・・・

 

日が出たから、夜が明ける

日が出たから、嵐が去る

 

それなの。

 

 

己の決意が定まった時に

物事は動き出す

 

 

嵐が去ったから

日の元にでるんじゃない。

 

 

そんな受動的で

弱弱しいもんじゃない。

 

 

俺はこの嵐を

乗り切るんだ!

 

なにがあったって

乗り切って見せる。

 

 

そこだった。

 

それがこの世に与えられた

己の役割と

肚に据えた瞬間こそ

 

日の出、日の元に移り変わる

瞬間だったんだね。

 

 

自分にまとった余分な

恐れ、我執、囚われを

取っ払う。

 

己の思い通りにしようと

握りしめる我執の囚われを

諦め手放す。

 

この己を生きる

決意であり、受容。

 

大いなる流れへの

明け渡しと委ねの

流れに乗る時。

 

 

自分の手で操縦したくて

舵を握りしめる

「エゴの手動操縦」から

手を放し

 

ただ己となして

「天の操縦=自動操縦」

託し、預け委ねる。

 

 

それは同時に、

逆説的でもありながら

 

「主体的に己の舵を握る」

 

ということであるんだって。

 

 

誰のせいにもしない。

すべて自分の責任で権限だと

肚をくくって捉える生き方だから

 

舵から手を離した「自動操縦」

こそが、

究極の「主体的人生の舵とり」

 

なのさ。ニヤリ

 

 

【REAL-ME!】

だから、夜明けは自分が決める!

 

決めてよい。

 

 

その時には、

 

この決めるタイミングすら、

すべて決まっていたし

定まっていたことが

分かるから!

 

 

ああ、日の出だよ

嵐が明けるよボンボヤージュ!晴れ船