【REAL-ME!】動けない、じゃない。あえて、動かないをしているんだ。

 

面白いもので

自分の中の変化に

気づき始めました。

 

いまなお、ふとした瞬間に

 

動き切れない自分、

期待に応えられずにいる自分に

自責の念がわきおこり

 

それじゃダメだろ、と

誰かの叱責が、頭の中に鳴り響く

 

やっぱり無理だ、できないと

身体が硬直する。

 

やっても無駄だ、無意味だと

心が閉じる。

 

 

恐れや悲観、罪の意識と

ながいこと共にいた

そんな

せんちょーですが

 

 

余裕があるのです。

明らかに、今までは違う。

 

得体の知れぬ何かに

取り込まれ巻かれてはおらず、

外から見守って眺めているかんじ。

 

そんななかでも、我を見失わずに

自分という感覚を保っていられます。

 

ただただ、

委ね浸る感覚にある。

 

 

その場にその瞬間に沸き起こる

ドラムの鐘がごごごーーんと

鳴り響くようなネガ感情を

 

ぐぐぐぐっと

内側に浸していく。

 

 

その流れに抵抗せず、

そんなものいらない!と反発せず、

わるいものだと排除せず、

 

その大いなる頂き物を

ひしっと内側に入れていきます。

じわー-っとしみ込ませていく。

 

 

もちろん、疼きますよ。

冷や汗も出てくる。

 

でも、

嫌な感じではないです。

 

冷静にみてる。

 

ああ、いまこれをしっかりじんわり

受け取っている瞬間なんだなあ、

 

そんな感覚です。

 

 

いつもなら

頭と心がフリーズし

身体が硬直し、

呼吸が浅くとまる。

 

恐れと罪意識の渦の

乗っ取りですね。

 

我を見失った状態。

 

そうなると

 

自分には、できやしない

自分なんかに、できやしない、

 

自分がそんな大それたこそ

やってよいはずがない、、

 

 

そういうフィルターを

かけてしまっている状態に

陥るわけですが

 

面白いことに、

もう、そこにはいないことが

感覚的にわかるのです。

 

フィルターが

変わったようです。

 

 

目の前の状況は

なにも変わってないし

 

現実的に見れば、

これでよいはずないだろ、、

そうつぶやきたくなる

現状であることは間違いないです。

 

 

ですが、

とても面白い感覚のもとに

いるのです。

 

 

それは

いままでとは異なる

 

安堵というか

活力というか

穏やかというか

 

開けた感じ。

活力が内側にあるのよ。

 

許可がでてるね。

 

 

自分に

できないはずがない!

 

自分は

自分をやればよいだけ。

 

自分でいれば

よいだけ。

 

自分は

なんでもできるし

何をやっても許される。

 

 

この感覚があるのです。

 

 

これで善し。

この自分が善し。

 

自分の内に委ね

添っているかぎりは。

 

 

そう、

思い出しましたみたい。

 

 

だって、

俺は、全てだから。

 

 

全てなら

全てがある。

ないものがない。

 

受け容れたくないもの

なんてない。

 

視たくないもの

もない。

 

許したくないものすら

もはやないでしょうよ。

 

 

それを不要と

ガードし、排除し

 

悪いものと捉え

乗り越えた先にこそ

得たい幸せや成功がある

価値がある

 

そう捉える世界。

 

 

そんな世界も

楽しいけれど

 

おれはもう

その世界からは

降りることにしたからさ、

 

おれは全てを

受け容れるよ。

 

ほんとは

このおれというものさえ

なかったのかもしれないね。

 

だからなんだろう

そう思えるのは。

 

俺であり、

俺でない

この俺、この我。

 

どうであろうと

この俺を

 

100%、

この自分というものを

この目の前の世界を

許し、認める、称える、

慈しむ、愛おしむ。

 

 

どの地点にいようが

どういう状況にあろうが

どこのズレようが外れようが

 

 

どうであっても

この自分と共にある

 

そう決めた。

そう定めた。

 

そう決まっていた。

そう定まっていた。

 

 

ということは、

だ。

 

 

自分の世界に現れる

いかなるもの

全てのものも

 

また

 

許し、認め、称える。

慈しみ、愛おしむもの。

 

 

ということだ。

 

 

もちろん、

好き嫌いはあるけどね。

 

 

それは当然あってよい。

 

 

だけどそのすべては

己の世界に現れるものは

 

すべて自分の写しだから。

一部だから。現れなの。

 

 

この世界をかたどる

側面でしかないもの。

 

 

この感覚が湧いてきて

そしたら、気づいたの。

分かったの。

 

すべては

己が選んでいるもの。

 

 

おれは

動けない人じゃなかった。

 

動けないのが問題な人、

そこに苦しんでる人でもなかった。

 

無理に矯正して動かそうと

する必要はなかったんだと

わかったよ。

 

 

なーんだ、、

 

動かないを

やっていた人だったんだ!

 

 

なんでおれはこんなに

動けないんだ・・・

なんて甲斐性がないんだ・・・

 

マインドブロックか、、、

過去のトラウマが、

俺の性格、性質が、、、

 

だったら動けるように

あのやり方で、

スモールステップで、

 

この人たちとなら、

この人のメソッドなら

あーたらこーたら

 

って、なんどもそこに

いきそうになったけど

 

やっぱ

そこじゃなかったのね。

 

うん、わかってた。

ほんとはね。

深ーいところで。

 

 

なんてことはない、

自分を責め立てる材料に

する必要があっただけだった。

 

それだけ。

 

うん、そう。

 

苦しむこと、さまようこと、

藻掻くこと、打ちのめされること

悪あがきして、それでもダメで

諦めにいたる、悲嘆にくれる

 

 

これぜんぶ、そうなることが

決まっていたの。

 

自分が望んでいたことだった。

 

 

この世に降り立つときに決めたこと。

 

 

それが面白い!やってみたい!

 

って定めていたの。

そう定まっていたの。

 

 

もっというなら

そう望むことすら

すべて決まっていた

 

完璧なおぜん立て。

 

 

動けない、なんてない。

 

動かない、

それを望んでやっているだけ。

 

それを視てるのは

主である我。

 

 

なぜなら

そうであることが

必要で必然で自然な流れだから。

 

 

なにをおののく必要がある。

何を気負う必要がある。

何を抱え込む必要がある。

 

 

あってもよいけど

なくてもよい。

 

 

弱ぶる

弱ぶれる

 

弱いフリができる

そんな貴重な体験は

思う存分やったらよい。

 

 

おもいっきりやったなら

そしたら気づく。

 

これ、

フリだったんですね(笑)

なんの問題もなかった。

 

素敵です。

 

 

ほんとは

なんでもできるし

選べるの。

 

 

全ての体験を

余すことなくいただきます。

 

 

起こること全てを

有難く頂きます。

 

 

 

本当にゆだねてよかったんだ。

 

 

全ては上手くいっている。

 

この自分も。

 

すべて自分が選んでいる。

選ばされている。

 

ほんとは、なんでもできるよ

やってよいのよ

ぜんぶ自分で選んでるのよ

ボンボヤージュ!