【REAL-ME!】消えてなくなりたい。。ネガティブ万歳、パンドラの蓋を開こう!

 

衝撃!

知らんかった。。。

 

わし、

 

消えてなくなりたい、、

 

と思ってた。

 

そんなの

微塵も感じたことない

そう思っていたけどね。

 

 

俺なんかいない方がまし。

人に迷惑かけるだけ。

俺なんか価値はない。

 

そうはどっかで思ってたよ。

 

 

でも、消えてなくなりたい

なんて深~いところで思ってたなんて

知らんかった。気づかんかった💦

 

 

もう最近、怒涛の

ネガティブの渦!✨

 

 

視たくないパンドラの箱

開けたらわかったよ。

 

死の箱、絶望が入ってる

かと思ったら

 

宝がここにあった。

 

こんなにネガティブが

心地よいものだなんて

知らなかった。

 

 

 

厳密にいうよ。

 

今だって

ネガティブなことには

なりたくないし、感じたくはないよ。

 

個の意識の

自分としては

 

 

誰も喜んで

苦しい重い気持ちになんぞ

なりたくないわね。

 

 

だけど

そこに乗っかっていた

開かずの扉、重い扉を開いたらね

 

 

絶望どころか

とんでもない!

 

とっても美しいものが

飛び込んできた.

 

 

自分が必死に抑え込み

視ないようにしてきたもの。

 

 

自分の中に在る

純真なネガティブ性。

 

 

ぜったいに今まで

感じたくなかったこの感覚。

 

 

自分には価値がない。

だから自分なんかが

この世にいちゃいけない。

 

自虐的な罪の意識。

 

 

誰も自分のことなんか

必要としていないし

気にもかけていない。

 

無価値感。

 

 

居てもいなくなくても

良い存在。

 

俺なんか

居ない方がましだ。

 

この世から、

消え去った方がよい。

 

この感覚感触。

 

きっと

箱のふたを押し開けて

でてきそうになると、

その都度必死に

抑え込んできたんだね。

 

 

視たくないし

まっすぐなんか

とても怖くて視れないから。

 

 

でも、そこに抗って

視ないように蓋をすればするほど

抑え込みの抑圧がおこり

反発として、反作用して現れる。

巻き込まれる。

 

同時に

そういう出来事を引き起こす

自分もいたのよ。

 

 

だけどね、

 

いつまでたっても

そんなネガティブな思いを

この自分が拾い上げてあげないもんだから

 

自分の大事な一部である

この純真なるネガティブ性は

一生懸命見つけてコールを送っていたんだよ

 

個の意識である

この俺が

気づいて拾い上げてあげるまで。

 

 

で、やっと今

その蓋を開いたの。

直視した。

 

 

そしたら

封じ込めてた自分の一部

純真なネガティブ性が噴き出して。

 

 

ああ、やっぱり

これ、全部おれだったね。

 

 

想い出したよ。

そうなのよ。

 

このふかーい闇の重さ、

無価値で無力な感覚。

 

 

これこそが

ほんらいの自分が

体験体感したかったもの。

 

個の意識である

自分が自分という素を

発動していくために

 

 

必要だった過程。

とおる道だった。

 

 

自分なんかに価値はない、、

 

 

封じ込めてきた

その感覚を拾い上げたとき

 

 

嗚咽がうまれ

涙がこみあげてきたよ。

 

咆哮。

また嗚咽。

 

 

すごく重いのに

すごく純真で

内側の震えが止まらない。

胸が熱くなってくる。

 

 

なんなんだろう、

この感覚。

 

 

なつかしさというか

やっと見つけてくれた

安堵感というか

 

 

なんだろうね、

 

 

そうそう、それそれ!

みたいな軽い感じなの。

 

重いのに、軽い(笑)

 

 

大いなる安らぎ

安心感があって

 

 

本当は

一度たりとも

忘れたことのなかった

感覚。

 

 

 

 

その絶望的な感覚は

 

自分の無価値感や

無力さ、罪の意識を

掻き立ててきた。

 

情けなさ、愚かさ、

至らなさ、みっともなさ、

惨めさ、やましさ、

負い目、後ろめたさ、

惨めさ、肩身の狭さ、

立つ瀬の無さ、恥ずかしさ

であり

 

申し訳なさに、気まずさ、

罰の悪さ、いたたまれなさ、

憂いさ、不出来さ、面目の無さ

であったもの。

 

自分のことを

否定し、排除しようと

させてくるもの。

 

自分は間違っている

自分が悪い

自分は外れている

自分は害である

 

この感覚

それは

 

恐れと罪悪感が

創り上げた

「自我の負極」の引力

 

でした。

 

 

ブラックホールのように

飲み込まれたら

二度と這い上がれないと

思っていた。

 

 

だけどね、

 

ここまで行くと

分かるんだよ。

 

 

自分に価値がない

その感覚が

 

それは事実ではなく

嘘で在り

方便で在り

虚だったということが。

 

 

 

そこまでいって

初めて気づくもの。

 

ああ、そういうことか!

 

全てなる価値のもとに

絶対な安心のもとに

あるがゆえに

 

そう思うことが

可能であり

赦されていたのだな

 

と。

 

自我の片極

があれば

もう一方の極もある。

 

その逆があったのよ。

 

しかも、もともとは

そっちが本体。

本極で基点。

 

すなわち、源。

源の本体こそが基点であり

すべて。

 

絶対に揺らがないもの。

全てがそこにあるからこそ

そうでない虚が作られた。

 

創造しえたし、

あえてつくられた。

 

有限であり制限

という世界として。

 

 

一つではない

個という分離の世界として。

 

さらに輪をかけ

恐れと罪の意識という

負極の引力をもつ世界として。

 

 

 

もともとが

絶対の安心と自由発展の

正極そのものである

源から生まれたこの両極性。

 

 

 

あえて

この負極を体験するために

作られた

この宇宙であり流れなんだもん。

 

 

すべては

我が一つなるもの。

その揺らがぬ土台の元にあるさ。

 

 

だから

怖いもの、見たくないものほど

ほんとうは喜びでしょ。

 

 

魂の悦び。

 

そこだった。

 

「源の正極」

その性質を信頼する。

 

 

、、といいつつ

信頼したいけど

しきれていないまま

だったのが

 

そこが必要だと飛び込んだら

やっぱりそうなんだと

分かっただけ。

 

自分の力じゃないんだけどね。

 

でも、

ほんとおれ、

よくやってきたわ。

 

えらい。

 

よく

いままでそんな重いもの

しょい込んできたもんだ。

 

 

よく頑張った。

もうよかろうさ。

 

 

どうせ全部、自分のもので

どうせ全部、必要なものなんだと

内側で感じたから。

 

 

どっちか都合よいものだけを望み

逆がおきないことを望み

身構えるスタンス

 

そんないびつなことを

もうやめてよいのだ。

 

これすらも

ぜんぶ完璧な整合性なんだろうけどね。

 

そうなると、

いびつさすら美しさ。

なんでもこいだ。

 

もう

パンドラの箱

その扉

開けて大丈夫!

 

そういうところに

きてるんだ。

時代としても。

 

 

 

自分の中に沸き起こる

すべての感情が

宝だと

開けたらわかりますぞ。

 

 

ね、そう思うと

ほんと、おれほど

人の世話になってる人は

いないかもしれん、

 

ずーずーしさも

美徳。

そう素直に感じ始めてます。

 

 

ネガティブ万歳で

ボンボヤージュ。