【REAL-ME!】罪という幻想、恐れと罪はFake-Me!

 

先週、

罪という意識は足かせの錘

 

という気づきを書いたんですが

 

なんなくつかめてきたことを

改めて書き留めておきますよ。

 

 

恐れと罪はFake-Me!

ということですから。

 

 

 

今までさんざん

メンタルブロックの解除やら

潜在意識の書き換えやら

ヒーリングやら

なんたらセラピーやら

やってみたものの

 

一向に消せない不安感がありましてね。

 

これが自分を長いこと

縛り付けていたんですが、

それが恐れであることは

分かっていましたけど

なにか釈然としないわけです。

 

で、今回ようやく

晴れました。

 

あ、それ

罪の意識(罪悪感)

だったんすね!!

 

 

ちょっと

三次元地球の話と

5次元宇宙の話を

ごっちゃにしていきますから

 

矛盾不可解な点があるのは

そんなもんだと思ってくださいな。

 

 

ほんとは

俺たちに罪なんてないの。

もちろん恐れなんてものもない。

 

 

すべてが許されてる存在なのに

罪なんてあるわけがない。

 

全てが可能な存在なのに

恐れなんてあるわけがない。

 

死ぬという概念もないし

他人もいないんだから

一体何を恐れるの、

って話。

 

 

だけど

それでは退屈だし

もっと高振動起こしたいから

この地球三次元という世界を

創り出したのが自分自身。

 

本当の自分。

大いなる一つなる我、ね。

 

 

だから

本当の自分と

意識を切り離した(ように感じる)

自分(自と別れた自分)

という意識を生み出した。

 

 

まあ、本来の一つの意識から

あえて遮断された意識といいますか。

 

 

それが自我でありエゴ。

自分という認識を持つことができる意識。

 

自分たらしめる

個としてあらしめさせていただいてる

遮断。

 

この遮断剤がエゴ。

遮断された意識がエゴ。

 

なんだけどね、

 

ここからがちょっと巧妙でさ。

 

 

自分という認識ができるように

なってできた自我

 

これって

与えられた自分

本来の自分の一つの表現。

 

REAL-ME!なのよ。

 

これが本来の自分。

 

大いなる一つであり

その表現であるREAL-ME!ね。

 

 

だけど

それだけだと面白くないから

(ネタばれの映画や小説みたいなもん)

 

 

そこにわざわざ

罪と恐れの意識をくっつけたの。

 

 

で、

なにかと脅してくる。

 

それじゃダメだろ

そんなんじゃダメだろ

この先、大変なことになるぞ

 

お前は生きていけない

お前は嫌われる

お前は人間としての価値がなくなるぞ

 

これが脅し、恐れ、不安。

 

本来無限の存在と意識であるところから

引きずりおろしてくる覆いかぶせの意識。

 

自分を無力化、矮小化してくる力。

 

この声を

てっきり自分の声だと

思い込んでしまった。

 

この恐れちゃんだけじゃ

勇気ある人ならはねのけてくるに

違いない、、、

 

そう思った多いなる我は

 

この偉大なるゲーム、ドラマを

もっと楽しませてくれるために

頑丈なさらなる仕掛けを施してくれたの。

 

 

それが罪の意識。

 

自分は罪だと思うことで

自分自身を切り刻む。

 

自分自身に重しを課す。

 

縛り付けて

身動きとれないように仕向けてくる。

 

 

先ほどの恐れとあいまって

本来の完全自由で無限の存在である

多いなる我の一つの表現であったことに

目覚めることを強固にブロックされる。

 

 

アダムとイブの与えられた罪って

このことなんじゃないかって。

 

 

本来あるはずのない

罪悪感を身にまとい

自分自身を重たく縛り付ける。

 

 

そのおかげで

三次元地球ゲームをぞんぶんに

愉しめるってわけ。

 

そうか。

 

今まで自分が抱え込んできた

この重い重ぐるしい罪悪感は

 

自分のものだと思ってきたけれど

自分じゃなかったんだね。

 

 

男なら

労働という義務責務を抱え

己の優秀さを競うことでしか

自分をたたえられず

 

女なら

男に従属せよという

社会からの圧、義務責務を抱え

如何に家庭に社会に尽くしたか

ということで自分の存在を赦せ

 

ともに

どこまでいっても

自分を縛る罪悪感から解き放たれず

 

自分を赦せず

他人をも許せず

社会をも許せず

 

すこしでも

安心して自分を誇れることを

目標に日々とりくむ姿。

 

 

今、社会は変わり始めているけれど

依然として潜むものって

この罪悪感なんじゃないかな。

 

 

もうそんな

義務や責務、我慢も犠牲も

要らないんだって。

 

だって

恐れちゃんと罪くんっていう

自分と違う存在が

 

自分ではない存在が

本来の自分への目覚め防止機能として

作動していただけのことだから。

 

 

本当の自分の一つの表現

それがこの己=REAL-ME!

 

 

そのREAL-ME!

が錯覚したまま眠り続けるよう

さも自分であるかのごとく

恐れと罪悪感を吹き込んでくるのが

 

 

恐れちゃんと罪くんという

Fake-Me!

 

 

多いなる戯れゲームを

ドラマを面白おかしく盛り上げ

引き立ててくれている立役者。

 

それがFake-Me!

 

 

自分をいままで縛り付けてきた

重ぐるしさ、やるせなさ、

いたたまれなさ、みじめさ、情けなさ

罪悪感

 

君たちFake-Me!

の仕業だったんだね!

 

 

ありがとう。

 

いやああ、偉大だわ。

 

このゲーム、このドラマ。

 

 

罪の意識から解き放たれて

生き始める人が出てきてよい。

 

 

罪の意識を

とことん味わいつくして

生きる人がいてもよい。

 

この全てが感動。

この全てが全てうまくいっている。

更なる善きために起きている全て。