Let's まっぱ!(真っ裸) 

 

 

さて、

 

自分が認めたくなかった自分を

認めて許してあげた話をしてきました。

 

 

罪悪感の解放。

 

 

けっして、

自分の恥部をさらけだしない、

ということではありませんからね。

 

 

どうしても出せないもの、

墓場まで持っていった方が良いものは

しっかりラグビーボールのように抱えてお持ちください。

 

 

あの世にトライでインゴールしてください。

 

 

わざわざ、こちらも

聞きたくないものまで聞かせてもらわなくて良いのです。

 

 

というより聞かせてもらわなくて結構です。

 

 

船長が伝えたかったことは

そういうことではありません。

 

 

 

路上、公衆の場で

まっぱになったら・・・

 

当然、つかまりますからね。

 

 

 

 

あなたが抱えている罪悪感、無価値感。

 

それは本当に必要でしょうか?

 

 

なにをそんなに怖れているのでしょうか?

 

 

認めたくない、絶対に認めたくない

惨めで哀れでいたたまれない自分の姿。

 

 

自覚としては、受け入れたくない自分の姿。

 

 

その自分の姿こそ、

あなたが潜在的に思い込んでいるセルフイメージです。

 

 

どれだけ頭で

活躍しているセルフイメージもっても

愛されてキラキラな自分をイメージしても

 

 

根っこで

惨めで受けれたくない

いたたまれない自分を否定している限り

 

真のセルフイメージは

その否定されている自分です。

 

 

むしろ、そのごまかしのセルフイメージを

強化すればするほど

真のセルフイメージは反作用を受けて行きます。

 

 

苦しくなる。

 

 

 

だからだよ。

 

 

Let's まっぱ!

 

 

それは

 

否定している自分を許すこと。

 

 

生れたばかりの赤ん坊の価値に戻る

ということです。

 

 

 

そこがニュートラルな

スタートライン。

 

 

 

生まれてきた姿

どんな姿であろうが

 

 

この世に生まれてきた。

 

 

ゼロではない。

 

すでに価値。

 

 

それを想いだすために

ゆるす。

 

だから・・・

 

Let's まっぱ! 

 

 

自分で脱げないんだったら

脱がされに来る。

 

許されに来る。

 

自分に許可をだして

やろうじゃないさ。