Real-Meとはどういう人?

 

 

それは、

自分を生きると決意した人、してる人。

 

自分を幸せに、自分として生きる、と決心した人。

 

 

自分を大事にしている人でもありますが

ご自愛をしているかといってReal-Meな訳ではありません。

 

 

ご自愛をしてる行為、行動をもってReal-Me

と言ってるのではないからです。

 

 

途中、自分を責めたり卑下たくなっても

どこまでもそれでよし、と自分を受け入れる自己受容

それはそれで大事です。

 

 

ですが、面白いもので

自分を生きる!自分を大事にする!と決めていない人は

自己受容しているつもりでなかなかそうなっていかない。

 

 

中途半端に自己受容、自己統合したつもりになって

「もうこれで私は大丈夫!」

 

と言いますが、どうみても他人からの称賛を餌に自己価値を測っている。そこになにかギャップを感じるのです。

 

 

まあ、それが悪いわけでもなく

少しでも自己受容に進んでいるのであればそれでも良いですよね。

 

 

単に、船長がそういう人たちを見て周波数(バイブレーションが合わない、と思ってるだけです。

 

 

その人たちの問題ではなく、船長の問題ですね。

 

 

確かにそこに問題はないのです。

 

 

それはそれで良い。

そして、僕も僕で良い。

 

 

だから

お互い、心地よいところに居ればよいのです。

 

 

 

で、僕は自分が付き合う人を決めた。

 

 

自分を生きる!と決めた人。

 

本当の自分を受け入れ大事にする!と決めた人。

 

幸せに生きる!と決めた人。

 

 

こういう人と付き合っていく。

 

 

 

自己受容した気になって

「私はもう大丈夫だから、ダメ出し一切しないで!」

 

と本当の自分を拾い上げるのが面倒だと思う人を

僕が面倒くさいと思うので、なるべく関わらないようにしこうというだけです。

 

 

誰も悪くはないですね。

 

 

別に自分を生きると決めようと、決めまいと

自分が選んだところにいるのですから、それがその人の正解です。

 

 

で、僕は決めました。

 

 

自分を生きる!と決めた人と一緒に付き合っていきたい。

本当の自分を拾い上げる面倒くささも一緒にやっていける人、そう望む人と一緒にやっていく。

 

 

 

だから、これは僕、船長の定義です。

 

 

Real-Me

 

本当の自分を生きる、そう決めた人。

本当の自分を拾い上げて生きる、そう決めた人。

 

自分は幸せに生きる! そう決めた人。

 

 

それがReal-Me。

 

 

決めない限り、どこまでもぶれ続け

すぐにへこたれて諦める。観たくないものからそっぽをむく。

 

 

だから、まず決める。

 

へこたれても、そっぽ向いても戻ってくるのが

決めた人。

 

 

今日もReal-Meだよ ボン・ヴォヤージュ!船

 

 

 

 

ともPカフェ 一押しバナナケーキ。