自己受容をうのみにすると溺れます

 

 

僕もまず自己受容が大事だと思ってます。

 

 

そこができていなくて、

欠乏感から何かを目指すとき

虚栄心から目指すとき

やっていると苦しくなってくる。

 

 

自己受容ができていないと

それは表面を取り繕った乾いたものになります。

 

 

だから自己受容が大事。

 

 

自分の嫌な部分、惨めな部分、情けない自分を受け入れる。

上手くいかない自分そのものを受け入れる。

 

 

まさに自己受容です。

 

 

そこは紛れもない事実だと思います。

 

 

ただ、自己受容は否定している自分を統合としていく過程としては大事なのですが

 

 

使い方を間違えると

自分をごまかす格好の理由になってしまう。

 

 

僕はそう感じてます。

 

 

ひたすらに自己卑下、自分責めを発動してしまう人にはそういう自己受容中心のアプローチも必要なのですが

 

自己受容をあまりにも強調しすぎると

そのうちに何が本当の自分か分からなくなってしまう人がでてきたりもします。

 

 

本当の自分を認めること!

本当の声を聴こう!

 

 

一見、言ってることはReal-Meと同じです。

 

 

ですが、どうも観ているとなにか違和感がでてくる。

言ってることはその通りなのですが

 

 

自己受容中心の在り方にいると

本当の声を聴き取らずに楽な方に楽な方に流れていってしまう人が出てきます。

 

 

すなわちspoilです。

 

 

Spoilとは、甘やかすという意味のほかに、腐らせてダメにしてしまう、という意味もある。

 

 

自己受容が問題なのではなく、

自己受容を自分の都合の良いようにとらえてしまう、

そこに問題があると僕は感じています。

 

 

こういうと、自己受容を強調する人はよく

「問題視するその人が問題!」、「なにも問題はない!」という言い方をしますが

僕はそういう言葉は買いません。

 

 

ハッキリ言って、くそったれ!です。 うるさいわ!

 

 

それが真理なのも知っとるが、

そいつに言われたくない!っていうだけです。

 

 

なぜなら、

 

「自己受容だよ、自己統合だよ。

頑張らなくても良いし、覚悟も要らない!

そのままのあなたで大丈夫だよ!」

 

と自己受容を促す人が

実は自己受容できていないのを

良く見かけるからです。

 

 

「スポイルしている自分も自分だよ」

「大丈夫だよ」

 

 

そういう人が自己受容でそう語るのは

はっきりいって無責任です。

(それも一理ではあるが、都合の良い一理にもしてしまってるところ)

 

 

本当の自分の声を分かっているからこそ、

そこに挑むことが怖いことがあります。

 

 

それを妨げる様々なブロックがあるからですが、

そこに踏み込むためには決意、意志が必要。

 

 

そこに後押しの勇気が必要な人達が、

自己受容中心の世界にいるうちに、どんどん自分を小さくとどめてしまい、いつの間にか自分の本当の声さえ感じなくなってしまう。

 

 

そこに僕はなにか違和感を感じたりするのです。

 

 

どこまで行っても自己受容・・・

言ってること自体は間違いではありません。

 

ただ、うのみにして自分を甘やかしているうちに、本当の声を聴くどころか、聴かないようになってしまう。

 

 

そして、優しい言葉、自己受容の海に溺れていく。

 

 

そんな自己受容に溺れることなく

自分の声を拾い上げるには

 

自己受容、丁寧に自分を扱う上で

 

 

変化、挑戦、成長、決意、情熱!

 

エネルギーを動かすことが必要。

 

 

僕はそういうスタンスに立つ。

 

 

そう決めました。

 

 

どちらが良い悪い、ということではなく

自分がどちらが心地よいか

 

それで選べばよいのだと思います。

 

 

自己受容は大事です。

 

それは紛れもない。

 

 

そのうえで

「本当の自分自身を生きる!」と決める。

 

そこから本当の自分が始まっていくのです。

 

 

どんなに頭で理解しても

僕の心はそう言うので、このスタンスを選ぶのだ。

 

Real-Me!

 

エネルギーを起こしてビビッド ボン・ヴォヤージュ!船