節分。
恵方巻丸かじりね。
旧暦の一年が終わりですな。


幸せの概念をかえるナビゲーター、
山原船長す。


今日も仕事でガッツリ成果を出して
よしよし、と思っていたら

ガツン!ときたわ。
トラブル報告。

苦手な取引先から。
一癖あって注意が必要なひと。

この人の面倒なところは、
自分の非もあることを、
相手の弱味をついて強気で
全面的にこちらに被せてくること。

善意でいると、いつの間にか
差し込まれて自分の非になるんやから
これ、ストレスやろ。!Σ(×_×;)!

でもな。よう考えてみたらな。。
そもそもストレスって悪のこたか?

どうも
俺の解釈では、
それ事態に良いも悪いもなかくて、
ただ単に刺激ってことやん。

この相手の言動は好き嫌いで
判断してるけと、

その言動になにかしら刺激を
感じているのは俺な訳で、

あくまでそれを困った刺激に
感じているのは俺やん。

まあ、俺にとって有り難くない
刺激やけど、

それ自体は単なる刺激。

実は。。しかもな。
その刺激のお陰で
それ以外のそうじゃない人や
そうじゃない普段の状態が

逆説的に
有り難い人や状態ってことを
指し示してくれるってのが
刺激やん。


そのお陰で気づくってことやな。
普段のなにも感じないものが
既に有り難い!ってことに。


嬉しい幸せ刺激もあれば、
嫌な刺激から気づく幸せ刺激も
あるっちゅーこっちゃ。

どっちにしろ、何かを感じさせて
くれるのが刺激。

で、結局は今の自分は
実は、なんと、いやはや、
既に幸せなんや、存在として、
って感じさせようとしてるのが
ストレスなんよなあ。

で、刺激を感受するのは誰でしょう?
それは...それを刺激と感じる人のみやろ。