時を超えて永遠に輝き続ける奇跡のマスターピース
50周年デラックス・エディションの帯に記された、月並みだが
まったくなコピーライティング。それはそう。でもこれは同時に
悲しみや痛みを祝福してくれる。人恋しさや無敵感を囃し立てる。
ビジネスにおける野心だとか銭金勘定でほくそ笑んだりとか
そういうのとは別次元の、思い、想い、欲し、煩う時の官能器官の
揺らぎをレコードの溝に刻んだ、みたいな。世のラブソングの
仮想ロマンティックなあるあるとはまるでちがう、心の襞そのもの。
悲しい日にはどん底だが楽しい日には高笑う、そんなアルバム。
ウチに何枚あんだよこのアルバム…

最新リマスターとか、SHM-CDとか、大体オレはこのアルバムの
音質に疑いを抱いたことなどない、そもそも。モノラルで聴くのが
このアルバム本来の、万華鏡か無限回廊を見渡すような音像の
楽しみ方だよキミ、と嘯いてみても、トゥルーステレオのパノラマに
圧死しそうな日もある。アレだ、オリジナルにはオリジナルの
30周年リマスターには30周年リマスターの、50周年には50周年の
またちがった味わいがあるのだよ。どこが?とゆわれても困る。
オレの襞が、粘膜が、末梢神経がそう云って憚らないのだから。
1966年5月16日には1966年5月16日の

『ペット・サウンズ』があり、2016年6月20日には2016年6月20日の
『ペット・サウンズ』がある。オレにはオレの、お前にはお前の
彼女には彼女の、彼氏には彼氏の、それぞれの『ペット・サウンズ』が。
好きでも嫌いでもいいけど追随するものがない。それが真理。