妬み嫉みを抱いて、敵愾心を
燃やしてたのはコステロだった。

え(・´ω・`)?コステロなんてとっくに
セルアウトして余裕綽々威風堂々の
ビッグネーム。セレブじゃん。
や。この危うさは。正直キメエよ(-_-;)見んなよ。
初期スティッフ・レコードのパッケージツアーを
イアン・デューリーとともに回った、この
神経症の眼鏡男は、大団円のお約束、デューリーと
愉快な仲間たちのフィナーレ参加が死ぬほど嫌だった
らしい。のくせして自分のセットリストでは、
しれっとバカラック・ナンバーなんかを。
このキワキワ感は。オレたち極東のロック少年が
ビートロッカーの祖として崇め、仰ぎ見てた
コステロ像と、本国英国での微妙な立ち位置とでは
かなりの温度差があったんでは?と(´・ω・`)なあ?
でも米国人をバックに、わりかしほっこりとしてた
デビューアルバムから、ジ・アトラクションズと
ともに急発進急加速急停止の連続みたいなアルバムを
連発してゆく、その陰にデューリーとの丁々発止が
あった。それはもう間違いない。悶えるキモ眼鏡。
アングリー・ヤングマンの成層圏へ。
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