猫が 死んでいるわ
わたしが 踏んだから~
…て、それは清水ミチコ。ほんとはこう。
あなたを思い出す この店に来るたび
坂を上って きょうもひとり来てしまった
山手のドルフィンは 静かなレストラン
晴れた午後には 遠く三浦岬も見える
ソーダ水の中を 貨物船がとおる
小さなアワも恋のように消えていった
『海を見ていた午後』はまさに山猫の葬送曲、
のような歌で、さすがにドルフィンなんか
行ったことのない僕でも、港の見える丘公園から
山手に突き抜く谷戸坂や、晴れた午後の三浦の
長者ヶ崎の断崖から臨む海は、悶々としながらさ
届くか届かないかの手を出したり引っ込めたり。
そんな淡い記憶がこだまするロケーションだ。
ユーミンは古傷にさわる。癒えやしないんだあの
きらきらしい風光明媚と、果たせなかった想い。
いっそ清水ミチコに踏み潰されて、成仏召されて
笑い飛ばすことできたなら。猫じゃ猫じゃ、を。
踊れたなら。結局あなたがいなきゃ。
白ブラウスの死神が大鎌かついでマンマーク。
何処へ行こうとも。
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