67年の話をしよう。Summer of love。
ジミヘンやジャニス、バーズやザ・フー。
ヒップの極みだった、ぴかぴかの最新型ロックの
祭典にほっこり迷いこんだ、黒い石仏と石切工たち。
メンフィスの片田舎からカリフォルニアへ。
人種の壁。貧相なアンプ。揃いのスーツで
揃いのステップを踏む。まわりは宇宙人のような
ヒッピーたちと、大音量のサイケデリアだ。
モンタレーがカリフォルニアだと、アメリカに
あることさえ知らなかったメンバーは完全に場違いだ。
受け入れられるはずがない、と確信していた。でも。
オーティスはやってのけた。
石仏の咆哮一発。蝶のように舞い蜂のように
刺すリズムセクション。尻子玉抜かれた群衆が
忘我の境地へと昇りつめていく。ステージ袖では
ブライアン・ジョーンズが涙を流してたって伝説。
'We all love each other,right?…Let me hear
you say YEAH!'つまり、愛し合ってるかい?
覚醒。魂入れの瞬間。ソウルが。辺境の
人種音楽がポップ・フィールドへと歩み始めた。
その矢先の、石仏非業の死。わずか6ヶ月後に。
オーティス・レディングが生きていたら。
現在の音楽の勢力図は全然違っていたはずだ。
ソウルミュージックは一部の好事家の秘宝珍宝には
ならなかったと思う。死の直前、彼はボブ・ディランの
『女の如く』の解読に夢中だったと云う。ああ。それ。
それが聴きたかった。
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