歌は世につれ世は歌に?
世界は歌にはけっしてつれることなんてないが
オレの心はつれっぱなしだ。ソウルは絶望を前提に
歌われた、ある意味免停講習のビデオみたいなもんでさ。
ロックはロックで
悲惨な出来事を、明るく勇壮なリズムと
ハクチ的思想にのせたコレは、大馬鹿者の免罪符だろ。
ちょっと言い過ぎかもしれないけど(笑)
そのふたつの間でね
絶望の重みも、思考放棄の軽薄さも耐えがたい
どっちもうけつけない、ってときに絶妙にシニカルな
ポジションから、こんがらがったオレを見事に照らすのが
ディランで、『血の轍』だ。
ふうん。コレはword cloudsって
アルバム絡みの単語を、カバーアートの
カラーテーマに沿って表現した、まあ暇人の
安い芸術だけど悪くない。
ブルーにこんがらがって
運命のひとひねり朝に会おう嵐からの
隠れ場所リリー、ローズマリーとハートのジャック
おれはさびしくなるよ彼女にあったら、よろしくと。
タイトルだけでも
白飯三杯は。バーボンとか云いたいとこだけど。
十代二十代の頃は、ディランなんて。へっぽこな声で
とっ散らかった歌、歌ってよ、ぐらいにしか。
まあへっぽこでとっ散らかってる
それはそう(笑)あの頃はこんがらがった
現実はぜんぶ方便で蹴散らかしてきたからね。
そのツケはいま一気にこうやって。
オレの痛みを慰めもすりゃあ狙い撃ちもする。
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