サム・シェパードは
まあアレとして。オレ完成予想図の
現実味を帯びた構想のひとつであったのが
アメリカン・ニュー・シネマを象徴する
等身大イコン、であったニコルソン。
ああ。こんな大人になりたかった。
『イージー・ライダー』
『ファイブ・イージー・ピーセス』『チャイナタウン』
『カッコーの巣の上で』。
キャプテン・アメリカにもビリーにも
なれなかった男は、トラックの荷台でピアノを
弾き、カッコーの巣の上を飛び去ったあと
身の毛もよだつ『シャイニング』の
「お客さんだお☆」
を経て、やがて『バットマン』のジョーカーへと。
ニューシネマの時代。
古き善きアメリカ、強き正しきアメリカが
ベトナムの暗い森に迷った時代。
銀幕にいたのはヒーローじゃなく
正義のローンレンジャーでもなくて
時代の厭世ムードを代弁するかのように
しらけた、みすぼらしい、どこにでもいる
男たち。悩み惑い、女々しく泣く男たち。
ニコルソンはそうした
リアル・ヤング・アメリカン、不自由だけど
自由だった世代、罪の意識を抱えながらも
イノセントであり続けた世代の象徴だ。
彼に、ニコルソンになりたかった。
が、しかし。
せめて、大地康雄くらいにはなりたかった。
つねに男らしく、かっこよく
なんて生きられるわけないじゃん。
Android携帯からの投稿