明けましておめでとうございます。

我が事務所も、本日から御用始め。自民党本部でも仕事始め式が実施されました。

さて、昨年は振り返ってみると、次から次に押し寄せる会議や講演依頼、各種団体との懇談会に忙殺され、政治家として、また一人間として人格を陶冶するような精神修養の時間を持てなかったことが一番の反省でした。

そこで、本日は比較的時間もあったため、政治を目指した原点に振り返り、安岡正篤先生の「東洋倫理概論」に目を通しながら、政治家としてあるべき姿勢を思い返しておりました。

その中の一文に「為政者の本分」という項目があり、改めて襟を正さずにはいられませんでした。

(以下原文ママ抜粋)
国家民衆はいかにしてよく敬におり、恥を知ることができるか。そは当然、百官有司すなわち為政者・指導階級によらねばならぬ。民衆は国家の部分的意思の実体であって、各々その生を営んで他有るを知らず、知ってもまた深く意に介せぬ。そこで民衆を乱離に陥れず、統一調和してよく永生につかしめる全体的意思に当たるものが為政者なのである。したがって為政者たるものは「民」に対して言えば、ぜひとも「士」でなければならぬ。もっとも恥を知り敬におるものでなければならぬ。
(中略)
果して為政者なるものが立派に士であり、善を持って人に先立てば、民はこれに由(よ)っておのずから正しからざるを得ない。そこで格別、法令治具によらずとも、民衆はひとりでに上に則りなろうて、いつの間にか清健な統一的組織活動、すなわち淳風美俗が出来上がる。これを「教化」と言うのである。


論語に「民は之を由(よ)らしむべし、之を知らしむべからず」という教えがありますが、現代のわれわれはこれを

「民は服従させておけばよい、知恵を着けてはならない」

というような意味と誤って捉えていますが、安岡先生はそのことも喝破され、正しい意味は

「民を知識や論理で教え諭そうとしてはいけない、ただ心の誠を以て民を信頼せしめよ」

だと述べておられることに対しても、目から鱗の落ちる思いでした。

「信なくば立たず」をまた然り。

(民主党本部にもFAXしてあげたいのですが、人のふり見て何とやら…まずは我が党が自彊することが肝要ですな。)


さて、本年は世界的に選挙の年、我が国に関係の深い世界中の国々で指導者の交代が行われる年です。

1月 中華民国(台湾)総統選挙
3月 ロシア大統領選挙
7月 フランス大統領選挙
10月 中国国家主席交代
11月 アメリカ大統領選挙
12月 韓国大統領選挙

そして、間違いなく我が国でも衆議院総選挙の年となるでしょう。我々も、政党である以上、自らの理念と政策の実現のために野党として敢然と戦う覚悟をしています。

通常国会が始まれば、冒頭から参議院における審議は、熱を帯びるに違いありません。そのことが、ともすると政局を争っている様に映るかもしれません。また、メディアは面白おかしく、それを掻き立てることでしょう。

しかし、大義に立ち国家国民の為と判断すれば、いかなるメディアバッシングを受けようが、敢然と戦い正道を貫くのも政治家の本分であると信じてやみません。

私自身も今年一年、この「政治家の本分」を反芻しながら、太くしっかりとした心の根をどっしりと張り巡らす一年にしたいと存じます。

本年も皆様のご指導ご支援を、宜しくお願い致します。