TPP(環太平洋経済連携協定)への参加交渉を巡って、国内輿論が二分している。国民への説明も十分になされないままに、先に国際公約として外国に表明し、強引に押し切ってしまう政治手法は、もはや民主党政権のお家芸となりつつある。このような手荒な手法は、議会制民主主義を崩壊させ、政治の信頼と質を著しく低下させるため、国民はもっと憤慨しなくてはならないのだが、野田政権の支持率が一向に下落しないのは、日本社会が完全にニヒリズムに陥ってしまった証左であるとも受け止められる。

さて、TPP議論の中身を聞いていると、賛成派・反対派の双方が、交渉参加による利点と不利点を主張するのだが、それを相対的に比べられるだけの情報量がないために、議論は終始かみ合わずに平行線を続け、その収束を見ない。しかしそもそも、参加するか否かを決定する尺度を、日本にとってどれだけの経済的効果があるか、というメリット・デメリットに求めてもいいものだろうか。私はTPPへの参加には反対である。しかし、それはメリット・デメリットの観点からではない。保守主義を信条とする一議員として、そこに「政治理念の一致」が見られないからである。私には、我が国の進むべき道として「新自由主義」路線を選択し、現在のグローバリズムの流れに乗り遅れまいと組することが、日本国の安寧と日本国民の幸福に繋がるとは到底思えないからだ。

第二次世界大戦以降、国際社会は戦前の反省を踏まえ、より安定した国際経済を構築することを目的に、包括的な国際通商ルールを協議する場としてのWTO(世界貿易機構)を中心とした枠組みつくりに努力してきた。しかし、現下の世界情勢は、米国発のサブプライムローンに端を発した世界同時不況と、猛烈に勢いづく後進国と衰退しつつある先進国との経済摩擦により、さながら大戦前のブロック経済に逆戻りをしたような感さえする。経済のブロック化は、道徳なき大国のエゴイズムを生み、行きつく先は、自国の生き残りを懸けた殺伐としたサバイバルレースである。

 地球上の全ての国々が、自由競争と市場原理主義により、自国の経済発展を優先し膨張しつつける未来に、いったい何が待っているのだろうか。今世界に求められているのは、自然と共生し、他国と共存共栄し、経済を成長させることよりも持続することに価値を置く「新たな調和的な経済システム」ではないだろうか。
そして、それができるのは「和」の精神を持った日本国だけであり、それが道義ある国家として、世界の平和に貢献し国際社会からの信頼と尊敬を獲得する近道だと考える。