昨晩、櫻井よしこさんが会長を務める「国家基本問題研究所」の月例フォーラムに聴衆として参加した。

議題は「放射能汚染の虚実」と題し、二名の原子力専門家と細野豪志首相補佐官が壇上にあがり、意見を述べた。


その中で、非常に気になった一節がある。

細野補佐官が、「新たな法案を作るのは、現在のねじれ国会の中では困難であり、現行の法律でできないのなら、自分が判断してやるしか無いと決断した」というような内容を述べたことである。

ここに、民主党政権の問題の本質がある。

つまり、「法律に乗っ取らず、責任と権限を曖昧にしたまま、運用で解決しようとする」誤った体質だ。

そんなことをすると、法治国家としての根幹が揺らぎ、統治の体制そのものが崩壊する。

「国家の有事に何をいっているか」という旨のことを、テレビのコメンテーターや評論家が言うのだが、では逆にお尋ねしたい

「有事ならば、法律によらずに実行することが許されるのか? では、その結果責任は誰がどのようにとるのか? そして、それは何によって担保されるのか?」

政治権力を用い、各省庁や地方自治体に命令や要請等を行うには、必ず根拠となる法律が必要である。それによって、責任の所在と権限の範囲が担保されていなければ、現場は動けないし、動かしてはならないのだ。それが法治国家としての原則である。

最近、「自民党は何故、復旧に協力しないのか?」というご批判を浴びることが多いが、必要かつ可能な協力は惜しまずにしている。実際、立法府の一員として、国会審議を妨げたりはしていないし、必要な法律はすべて通している。国会のネジレが原因となる復旧の遅延は、全く発生していないのだ。

さらに、「民主党ができないなら、自民党が代わりにやってやれ!」という方のいる。しかし、それは立法府と行政府の違いを理解していない暴論である。これは、メディアによる短絡的な国会議員バッシングに端を発する誤解であるが、国家の統治機構を理解していないと言わざるをえない。

政権を担っていない政党が、たとえ経験や人脈があるからといって、本来政権与党が行うべき責任と権限を勝手に行使したら、どうなるだろう?

それは我が国の中に二つの政権が誕生することに等しく、誤解を恐れずに表現すれば、それは革命にも近い政治の異常事態である。

つまり、震災の程度による国家の危機的状況の高低とは何の関係もなく、法治国家として、政府(内閣=行政府)の権限と、政党(国会=立法府)の権限を混同するということは、三権分立を蔑ろにすることであることに我々は気づかなければならない。

確かに、菅総理の言動を見るたびに国民はイライラし、不安が増大し、どうにかしてほしいという焦燥感ばかりが募るだろう。
しかし、そのフラストレーションを立法府たる国会にぶつけるのは間違っている。

「自民党どうにかしろ!」といわれても、我々には立法府としての協力しかできないのだ。実際の復旧・復興のスピードをUPするには、行政府の長たる内閣総理大臣の強いリーダーシップのもと、策定された予算を的確かつ迅速に執行に移していくことに尽きる。それができないのであれば、交代していただくしかない。

政治の混迷に対する批判、あるいはこれまでの自民党政治に対する批判は、政党人として甘んじて受けたい。しかし、私は自民党を擁護したいからでも、民主党を批判したいからでもなく、正しい政治認識として敢えてこのことを主張させていただいた。

それは、日本政治の質を高めるためには、有権者たる国民がこのような国家の統治機構の原則を、しっかりと理解することが必要不可欠であると信じるからだ。

意識ある善良な国民の多くが、テレビ・メディア等の恣意的な情報操作に踊らされない事を強く願う。