地震以来、ブログの更新を自粛しておりましたが、皆様に伝えなければならないことがあまりに多く、それを適宜を伝えていき、私が皆様に訴えるべきものを発信するために、今日からブログを再開させてください。(不謹慎な言動や、無責任な批判は慎むことをお約束します)

まずは、

東日本巨大地震に際して、お亡くなりなった方々に対し心からのお悔やみを申し上げますと共に、ご遺族や被災見舞われた皆様の悲しみや御苦労に対し、お見舞い申し上げます。

平成23年3月11日 1446 三陸沖を震源とした巨大地震(M 9.0)が発生しました。
 
地震が起こった時、私は羽田空港にいました。

羽田空港1440発(鹿児島行) JAL1873便の機内でした。搭乗の最終チェックを終え、機体は離陸の許可を受け、滑走路に向かい走行している途中にそれは起こりました。

機長の突然の急ブレーキ!

「えッ何?なんで止まるの?」と思った瞬間機体が前後左右に大きく揺れ始めました。

私はパイロットが過度のブレーキ操作(ポンピング)を繰り返してふざけているのか?と一瞬錯覚したほどでした。窓から外を見ると、空港の看板や搭乗用のはしご等が激しく揺れていました。

「地震だ!」

誰かが一言つぶやいてから、乗客一同状況を理解しました。

揺れが収まると離陸禁止となり、機体は元の駐機場へ戻り、管制塔からの指示待ちとなりました。
その間、CAからの詳しい地震情報は皆無でした。

いえ、JALのCAを批判しているのではありません。東京の中心でも1時間いやもっとでしょうか、情報が完全に途絶状態に陥っていたというのが事実です。

携帯電話も通じない、メールもダメ、使用できるのはツイッターだけでした。事務所のスタッフが確認してくれることを願って、自分の現在地、そして無事であること、これからの指示を一方的に書き込みました。

同僚議員の熊谷議員が私の国会事務所に知らせてくれて、意思伝達系統を確保できたのはよかったのですが、それから2時間半、飛行機の中に缶詰状態でした。

その後は交通網の大混乱の状況を把握したので、とりあえず鹿児島へ飛び、向こうで情報収集に努める決心をして翌日夕方に帰京し、それからら自民党災害対策本部に詰めることになりました。

明日からは、皆様に自衛隊の活躍や現地の状況なども含めたレポートをして参ります。