今回は台湾にとって国防の最前線である、金門島を視察しました。
金門島は中華民国の「福建省政府」に所属する島です。1956年以降、軍政が敷かれ中華民国側が支配しており、1958年には対岸の中華人民共和国との間で激しい砲撃戦が繰り広げられましたが、多数の死者を出しながらも死守した島です。

台湾は現在徴兵制をしいており、そういった召集兵の赴任先はくじ引きで決めるそうです!?
かつては金門島の赴任クジを引くと、親族一同で嘆き悲しんだそうですが、現在は笑って済まされるほど。実際に金門島に行ってみると、島全体が観光地化されていて、体感による軍事的緊張度は、かつてより低下しているように感じました。得意げ(以前、行ったことのある朝鮮半島のDMZの方が緊迫感を感じました。)
事実、台湾国防部は、中台間の軍事緊張が緩和しているとして2014年末までに徴兵制を廃止して兵員を6万人(22%)削減し、米国からの兵器調達による装備ハイテク化と兵員の精鋭化を推進することで対中防衛能力を維持する国防計画見直す指針を発表しているのです。(2009.3記事)

余談ですが、外国に行くと戦地や軍事施設が観光の目玉になっているのをよく見かけます。国が国防意識の発揚のために、国の施策として行っている場合が多いのですが、「沖縄なども、政府指導のもと国防観光島にする位の強かさをもってはどうだろうか?」そんなことを考えていました。


さて、金門島では守備部隊指揮官である張中将と意見交換を行いました。
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張中将は、金門島防護のための戦術を、硫黄島防御線を戦った日本陸軍の栗林中将の戦訓に学んだとし、とても尊敬する軍人の一人であると話してくださいました。我々日本人は得てして、戦死した英霊を「憐れみと悲しみの感情」を持って見がちですが、「同朋としての誇りと勇敢さに対する敬意」を持ってみるべきではないでしょうか。
改めて、他国の将軍から、それを教えていただいたような気がいたしました。かお

今回は残念ながら、軍の詳しい施設などは視察ルートに入っていませんでしたが、概要説明のために通された講堂は、硬い岩盤を掘削して作られた地下の大講堂で、集会だけでなく、福利厚生施設として隊員たちに映画を見せる際に使ったり、有事においては傷病者を寝かせるための野戦病院として使われると説明を受けました。

軍施設の殆どが半地下式になっていることからも、栗林中将の地下壕を用いた防衛戦術に学んでいるのがよくわかり、日本人として嬉しくも恥ずかしくもありましたガーン
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