鳩山首相の度重なる発言のブレにより、迷走を極めた普天間基地移設問題ですが、5月23日の首相の沖縄再訪問での「現行案微修正」の公式発表を聞いて「それ見たことか」と思った国民は少なくないでしょう。
しかし、自民党も首相の政治責任ばかりを追及し、退陣要求をするだけではいけません。
 私は、今回の一連の騒動を、日本人全体が「国家の安全保障を考える有難い機会」であると捉えています。ともすると、普天間基地の問題は、「ヘリの低空飛行における安全性及び騒音被害」と「沖縄県に対する基地負担の偏り」ばかりが報道によりクローズアップされて、この問題の本質に対する論議がなおざりにされていた感じがします。それどころか、日本全体で何か迷惑施設を押し付け合うようなやりとりが繰り返されたことに対し、私は強い不快感を覚えました。

 第一に、問題になっている米軍海兵隊は、迷惑施設などではなく、同盟国の軍隊であるということです。彼らは、同盟の名の下に遠い異国に派兵され、日本人を守るために血を流すことを覚悟して来た「血の通った生身のアメリカ人」であるということを忘れてはなりません。同盟は外交上の契約だけでは成り立たず、互いの信頼関係を土台として機能するというのはあたりまえのことです。今回の一連のやりとりは、米国軍人に対して、とても無神経で失礼極まりない言動であり、互いの信頼関係を大きく損なうものではなかったかと日本全体として反省せねばなりません。

 第二に、「そもそも何故、沖縄県に米軍基地が存在せねばならないのか」ということから目をそらしてはいないでしょうか。それは、我が国が自らの力で、自国を守れない『半独立国家』であるということに尽きるのです。我が国は、日本国憲法第9条の戦力不保持条項を補うため、米国との間に「日本とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」を締結し、その第6条により「米国陸海空軍に対する施設と区域の提供義務」を負っています。よって、米軍基地の国外撤去を議題に挙げるということは、日米安全保障条約の破棄を意味し(そうしなければ条約違反となる)、更には日本国憲法第9条の改正までを視野に入れた論議がなされなければならないはずではないでしょうか。

つまり、沖縄基地問題の本質は、「我が国の国防体制は、本当にこのままで良いのか」ということに他ならないのです。与野党の党利党益のための足の引っ張り合いで、この論点をうやむやにしてしまっては、せっかくの機会を台無しにしてしまいます。政治家はこの問題を通して、今後の日本の防衛をどうすべきかを、改めて国民に問わなければならないのではないでしょうか。

国家の独立と平和を他国の信義に任せるとする現行憲法を後生大切に守り、防衛力を他国に依存している片務的安全保障体制から抜け出せないまま、日本国民を亡国の民へと導く愚行だけは断固として避けなければなりません。