常慶には、家系図上 松下清景・松下清綱・松下元綱 の兄弟と、義兄弟(姉妹の嫁ぎ先)の松下之綱、松下助左衛門範久がいます。

(まとめ参照)http://ameblo.jp/captain-kato/entry-12236163808.html

(さらに松下貞綱がいるのではないか、というのが私の推測。さらに義兄弟として七郎兵衛直綱と景綱がいる。)


この清景・清綱・元綱・常慶については、元綱の家伝によれば、浜松での菩提寺は真言宗高野山の末寺であった「妙香城寺」とのことです。
寺自体は消滅してしまったため不明ですが、親の「松下連昌」が同じく真言宗鴨江寺に寄付した鰐口が現存していること、常慶が二諦坊(鴨江寺関係)の出身であることから、浜松の松下家の一族は真言宗であったのは確かであろうと思います。

また、之綱は当然ながら頭陀寺(真言宗)であったであろうと推察されます。

この一族は、遠江国風土記傳では浅羽の松下村がその在所(ざいしょ)とされており、元綱の家伝でも一致しています(と書いて、三河だとする寛政重修諸家譜を無視する)。先に挙げた兄弟達のうち直接ここにいたのは助左衛門範久だけであろうと思いますが、ここでの菩提寺は昌福寺(正福寺)です。

*正福寺は龍巣院の末寺の曹洞宗ですが、個人的には当時は真言宗だったのではないかと根拠なく想像しています。菊川市の正林寺ももともとは「昌桂寺」として真言宗のお寺として創建されていますので。今川義元の頃には曹洞宗になっているはずですが

各家ともその後は諸事情でいろいろ移っているようです。もっと書こうと思ったのですが調べはじめると相互に辻褄が合わず、、、、

・清景は箕輪城そばの龍門寺と井伊谷の龍譚寺に墓がありますが、宗派が合わない、、、
・常慶の折本町直照寺は、見つからない
・元綱の家系は、曹洞宗に変わった理由が書いてあるものの話が合わない、、、

もう少し調べてわかったらまた書きます。