寛政重修諸家譜と武家松下家の家系図を見ていて、松下常慶・元綱や之綱の次の世代には同姓同名が3人もいることに気がつきました。 1.常慶(松下安綱)の子の重綱 寛政重修諸家譜では、横須賀衆 坂部三十郎の娘と結婚していて、これは保綱の作った家系図の記述とも合致しています。ということで、まず一人目。 2.之綱の子の重綱 歴史的には一番有名な、遠州久野城の石垣を直して、三春城に異動させられた人です。 寛政重修諸家譜上は 加藤嘉明の娘と結婚していて(加藤側も松下側も)、保綱の家系図の記述とも一致しています。 ということで、これで二人目。 3. 元綱の子の重綱 寛政重修諸家譜第4輯に、本多忠勝の娘(小松殿の妹?)は、「家臣 松下三十郎重綱」と結婚したと確かに出ています。元綱の家系図には名前が見えています。ということで、これで三人目。 三人目については保綱の家系図には常慶の子である昌俊が養子入りしたことになっており、1と3が同一である可能性は0ではありませんが、保綱の家系図でも重綱と昌俊は別人です。 昌俊の奥さんの名前がないので養子入りした時名前を変えたのかとも思いますが、それでも兄と同じ名前は・・・・・・ブラコン? (まあ「三十郎」を名乗るので実害はないようにも思いますが) 三人目は本多忠勝の娘についてなので、もうちょっと資料があってもよさそうですが、いったい何をみたらよいのか不明です。 なお、大坂夏の陣のとき、松下重綱は参陣して戦功をあげており、おおむね2の重綱とされていますが、実は3の重綱だったりするかもしれないと思っています。 PS. 之綱の嫁は、常慶・元綱の姉妹なので、この3人は少なくとも従兄弟の関係にあるはずです。1と3は兄弟の可能性が高いですが。