(寛政重修家譜第7輯から抜粋)

松下常慶は厨人の長として東照宮実記には出ている(有名な漬物の話に加え、大阪の陣の準備をするところに出てくる)のですが、私はこれは単に勘定奉行として台所の管轄も入っていただけで、実際に台所奉行(台所頭)だったわけではない と考えています。

漬物の話をみるに「御家人」となっていて、直参旗本ではないことが示唆されており、さらに江戸城の台所頭は200石ポジションがせいぜいであり、少なくとも700石を差配している常慶にはそぐわないのがその理由です。

今日別のものを探していたら、ふと実際に台所頭の人の系図を見つけたので載せておきます。
・・・・・いくらなんでも「小間使い」と家系図に書かれるのはあんまりだとは思いますが。