すでに本多忠勝の家臣団の浜松の松下ー族として紹介済みですが、松下三十郎元綱は、松下連昌の子供である 松下清景・清綱・安綱(常慶)兄弟の末弟です。

本多忠勝の下で与力として働いていましたが、残念ながら、軍功については本多忠勝の部隊の一部としてしか各種軍記物で表現されておらず詳細はわかりません。例えば、岡崎市史の小田原城攻めに関する部分では本多忠勝の指揮下「松下一党」としか記載されていません。

それでも、初陣で敵の首を二つ取って徳川家康に誉められたこと(本人の家伝による)や最終的に本多忠勝の家臣として5千石を領していることから、武芸に秀でた人であったことが伺えます。

家系図上「河内守」も得ているので、マイナーなのは井伊家とのかかわりは薄いせいで、「本多忠勝」の大河ドラマでは(いつ?)、はとこの都築秀綱と並んで大活躍することが予想されます。

長兄の清景に息子がなかったため、清景の養子になるとの話もあったようですが、井伊直政が松下家の養子となったため、その話はなくなったとされています。

(連昌は鴨江寺・二諦坊の近隣、清景は西ヶ崎とされているので、長子相続ではなかったことが伺えます)